【ARUHIアワード12月期優秀作品】『まだ見ぬ君へ』潮楼奈和

 その日の夕飯は豪勢……ではなかった。鍋がひとつコンロを占領しているせいで、リフォームした三口コンロも従来の二口コンロと同じ程度の稼働力。
 冷凍してあった鯖をグリルに放り込み、味噌汁とほうれん草のおひたしを作る
「せっかく自慢の料理を出そうと思ったのに」
「十分美味いだろ」
 修平は初音が作った食事を黙々と食べている。味にうるさい修平が文句をつけないということは、それなりに合格点なのだろう。もっとも鯖は焼くだけだし、おひたしはめんつゆを使っているので失敗のしようもないのだが。
「ねえ、なんで一日かけて煮込むわけ? カレーなんてお手軽家庭料理の定番じゃん」
「別にいいだろ。簡単なものをあえて手間暇かけて作る。贅沢じゃないか」
「だからって鶏ガラ買いに行かせるのやめてほしいけど。初めて肉屋の専門店行ったわ」
「なんでもスーパーで買えるわけじゃねえからな。いい経験になったろ」
「どこで役に立つの、その経験……」
 別に修平だって必要にかられて、専門店に行くわけじゃない。仕事も働き盛りを過ぎて、趣味を持とうとした時、たまたま料理が目についた。そこにいつもの凝り性が発動して、まるでどこかの老舗シェフのようなこだわりができてしまった結果である。
「明日は手伝えよ」
「嫌だよ。私が手を出したら、もう父さんの料理じゃないでしょ」
 あっさりと断って、初音は鯖の最後の切れ端を口に放り込んだ。

「面白いお父さんだね」
「他人事だから言えるんだよ」
 電話口の真人に初音がぼやく。ベランダの植木は少し葉が茶色くなっていた。家にいる時間が減ってから、つい、いろいろ忘れがちなことを反省する。水を取りに行くのも面倒で、初音は手元の飲みかけていたペットボトルの水をそのまま注いた。
「やっぱり行こうか?」
「来たら、もっと気合入れて料理作り始めそうだわ。また買い出しに行かされる」
 濁す初音の耳に、少し真面目な真人の声が聞こえた。
「ねえ、はっちゃん、本当は俺と結婚したくない?」
「そうじゃないよ。ただ、ちょっと」
「貯金が不安」
「そうじゃないって」
「将来が不安」
「今更だけど、それも関係ない」
「じゃあ、俺を紹介するのが恥ずかしい」
「それもない。というか恥ずかしいって何」
「ほら、もっとイケメンで高級取りで出世バリバリするような人なら、むしろ前のめりで紹介してたんじゃないかな、とか」
 冗談半分といった口調だが、真人はけっこう本気だ。真人の貯金は少ないが、それは真人が浪費しているわけでもない。単純に給料が安いのだ。
「そんな相手、三日で飽きるから」
「美人は三日で飽きるけどブスは三日で慣れるみたなこと言うなよ……」
 落ち込み気味の真人に、初音は少しだけ本音を漏らす。
「真人紹介したら、父さん、安心しちゃうじゃん」
「なにそれ。安心させたいもんじゃないの」
「もうちょっと、心配してて欲しいんだよね」
「なんだよ、ファザコンか」
「父親想いと言って」
「父親想いなら心配かけないから」
 笑い声が混ざり始めた真人の声に、初音は少し安心する。
「ねえ真人」
「何?」
「いつか、ちゃんと紹介するから。その時は来て」
「うん。どこにでもすぐ駆けつける」
「そこまで?」
 今度は初音が思わず吹き出した。
「おい、湯冷めするぞ」
「じゃ、またね」
 ベランダを覗き込んだ修平に隠すようにスマホを切る。
 修平はムッとした顔でスマホを指す。
「男か」
「戸籍上の性別は」
「ふざけてないで。電話よこせ」
「もう切った」
「かけ直せばいいだろうが」
「かけたら、来いって呼びつける気でしょ」
「呼びつけるんじゃない。丁寧にご招待させていただくんだよ」
「よけい怖い」
 大真面目なふりをして、修平はふざけていた。会いたいのか会いたくないのか、修平自身、よくわからないのだろう。会ってみたいという好奇心、娘の相手という複雑さ、その半々。初音はそんな気がしていた。自分が本当は会わせたいのに会わせたくないように。

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