【ARUHIアワード12月期優秀作品】『僕たちの手作り弁当』佐藤勉

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「このカウンターで弁当の話をする機会がなくなるのは寂しいな」
 堺はコップに半分ほど入っていた日本酒を一気にあおった。今日はいつもよりも飲むペースが早い。
「そうだな。毎週のことだったからね」
 僕は鶏のから揚げを口に放りこむと、赤くなった堺の顔を見た。
 自分たちの娘や息子のためとはいえ、よく続いたものだ。
 飲み屋街の端にある小さな居酒屋「川本」は、おいしい日本酒を飲ませる店として地元では有名だ。この、バラック小屋のような薄汚れた空間にあるカウンター席に座ると落ちつく。
「なあ山下。俺たち、あいつらのために3年間でいくつの弁当を作ったのだろうか」
「数えたことがないよ。軽く300個は超えているんじゃないかな」
「今考えれば、いい思い出だよな」
 天井を眺めながら堺が懐かしそうに話す。
 はじめのころはズブの素人で、ひとつ作るのに時間がかかったものだ。完成が遅れて会社に遅刻したこともある。それが今では僕も堺も弁当屋を開けるくらいに上手になった。
「毎日、弁当を作ることができたのは山下のおかげだ。感謝する」
「それは僕の言葉だよ。僕だって君が毎週のようにつきあってくれたからできたのさ」
 なんの誇張もない。そういう意味で僕は堺に頭が上がらなかった。
 堺は中学時代からの同級生で大の親友だ。高校や大学も同じ学校だったから、いつも一緒にいた気がする。結婚したのも子供ができたのも同じ年度だった。
 ところが48歳の今、実はお互いに独り身だ。堺は8年前に離婚して、ひとり息子を引きとった。僕は5年前に妻を乳がんで亡くして、娘とふたりで暮らしている。
 お互いの子供が同じ高校へ入学した。そんな僕たちは共通の悩みを持っていた。子供たちの昼食の弁当をどうしようか――ということだ。
 伴侶を失って何年にもなるのに、僕も堺も弁当など作ったことがなかった。娘たちが通う県立高校には食堂がないので、昼食は弁当を持っていくしか方法がない。とはいえ、コンビニ弁当や菓子パンでは栄養の面で問題だし、なんといっても親としての愛情に欠ける。手作りのものを作って持たせてやりたい。
 ある日、堺から提案があった。「毎週金曜日もしくは土日に集まって、次週の子供たちの弁当メニューをふたりで研究、開発しよう」というのだ。ひとりではうまくいかなくても、ふたりで力を合わせればどうにかなる――と考えたようだ。
 僕は彼の案に喜んで賛同した。そうしてできあがったのが「男やもめ弁当の会」というふたりだけのサークルだった。
 弁当のレシピ本とメモ用のノートをふたりで持ちこみ、川本の狭いカウンターに広げる。酒とつまみを口に運びながら真剣に意見を交換する。来週のおかずは何にしようか……。見た目の美しさや栄養を考えながら毎日のメニューを決める作業だ。
 そんな、弁当作りに明け暮れた3年の月日はあっという間にすぎた。
 3年生は、3学期に入れば午前中で課程が終わり早帰りになる。弁当が不要になるため、その時点で僕たちの「任務」は完了だ。
 弁当作りにもう少し係わっていたかった。寂しくなるという堺の気持ちがよくわかる。

 飲み屋を出て堺と別れると時間は9時を回っていた。
 今日は格段に寒い。全身を突き刺すような冷気で酔いが一気にさめる。
 僕の自宅は飲み屋街から歩いて15分のところにある。十年前に建てた一戸建てだ。間取りは4LDKだが、娘とふたり暮らしの僕には広すぎる。
 2階にある娘の部屋に照明がついていない。
 鍵を開けて玄関を入ると、家の中は洞窟のように真っ暗でシーンと静まりかえっていた。心なしか、外よりも気温が低いように感じる。
「由夏。いるのか?」
 娘の部屋に向かって玄関から大声で呼びかけたが、返事がない。こんな時間なのにまだ帰っていないようだ。

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