【ARUHIアワード12月期優秀作品】『マイ・スイート・ホーム~ここが私たちの終の棲家~』山崎ゆのひ

 ここに引っ越してからの鬱憤が一気に噴き出した。というか、こんなに対等に意見したのは何年振りだろうか。私の反撃に、根は小心な直彦が驚きひるんでいるのが分かる。
「だったら、宅配サービスがあるだろう。あれを利用すれば……」
「あれは、1回につき200円の配達料を取られるの! だいたい、あなたのくれる家計費で計算すると、一日の食費はいくらになるか知ってるの?」
「いや……」
「必要経費を差し引いて30日で割ると、1日750円よ! 私はこの範囲で2人分の食事とあなたのお弁当を作ってる。配達料を払うのなら、私はこの家の庭にカボチャかネギでも植えたいわ!」
 直彦の顔に苦笑いが広がる。
「戦時中じゃあるまいし、そんなみっともないことしないでくれよ」
「見栄なんて張ってられないわよ!」
 立ち上がった拍子に椅子が倒れた。でも、そんなこと構っちゃいられない。私は自分自身を鼓舞するように、ソファに座る直彦の前に立ち、両手を腰に当てて見下した。今言わなかったら、一緒言えないに違いない。
「夏休みに、小倉からあなたのご両親が来て、泊まっていかれたわよね。あのとき、あなたはお義母さんに私のことを何て言ったか覚えてる?」
「……いや」
 私は、上品な高い声を出した。
「『まあ、直ちゃん。立派なおうちね。お庭もきれいなお花が咲いてて、美香さんよくお手入れなさってるのね』お義母さん、そう言ってらしたでしょ?」
「ああ…」
「あなたったら、『美香は家事以外に何にもすることがないから、花を育てる時間が山ほどあるんだよ。まったく、苗を買うお金も馬鹿にならないのに、せっせとよく作ったもんだ。俺が汗水流して稼いだ金の有難味が分かっているのかねえ』」
「あれは、その、話の流れだよ」
「何が流れよ!?」
「だって、どこの世界に自分の女房を褒めちぎる旦那がいるんだよ? 男は人前では自分の女房をけなすもんだ」
「それが九州男児の心意気だとでも言うの? ふざけないでよ!」
 私は思わず、直彦が潰したビール缶を壁に投げつけた。ルノワールの複製画ががたんと傾く。直彦がビビってソファから腰を浮かせた。ふん、九州男児が聞いてあきれるわ。
「まあ、落ち着いて」
「あなたはいつも私に『働いてないくせに俺の金をむしり取るお前はヒモ』って言うけど、じゃあ、あなたは何? 」
「さ、さあ……」
「私が『せめて家計の足しにパートに出たい』って言ったら、『50間近のオバさんが働きに出るなんて世間体が悪い。みっともないから絶対に止めてくれ』って、うちの中ではお金を稼ぐって威張ってるけど、本当は体裁を取り繕う、ただの見栄っ張りじゃない」
「女房を外に出さないのは、男のプライドと言ってくれないか?」
 直彦の言い訳が空しく聞こえる。私はこれまで経験したことがないくらいに気持ちが高ぶって、今まで言えなかった、けれど一番言いたかったことを切り出した。
「あなたはいつも肝心なときに出てこない。拓斗が前の大学で、部活内で暴力事件を起こしたとき、大学に頭を下げて処分を聞いてきたのは私。拓斗を連れてけがをさせた相手に謝りにいたのも私。その後、鬱病になって退学まで考えた拓斗を抱えて都内の心療内科を回ったのも私。塾を探して地方の大学に編入させたのも私」
 息子の拓斗が入ったラグビー部は、大学の中でも縦関係に厳しい部活だった。拓斗は中学高校と運動部だったから先輩後輩の関係に慣れてはいたものの、さすがに試合でわざと危険なタックルをしろとか、相手を潰せとかいう命令には従いかねた。試合後、後輩の不甲斐なさをなじる先輩と言い合い、先に手を出したのは相手なのだが殴り合いになった末、けがをさせてしまった。部内に味方になってくれる者はなく、大学側から数カ月間の自宅謹慎を言い渡された拓斗は鬱状態が続いた。あの時期は都内のマンションに住んでいたが、部屋に引きこもった拓斗を抱えて、私は生きた気がしなかった。それなのに直彦は仕事が忙しくて、必要なお金はなんとか出してくれたものの傷心の拓斗に寄り添うことはなかった。引きこもりの状態に終止符を打ち、退学して他大学に編入したいと言い出したのは拓斗本人だった。この家にはもちろん拓斗の部屋もあるのだが、拓斗は直彦への不信感が拭えず、寄りつきもしない。
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