【ARUHIアワード12月期優秀作品】『希望』ウダ・タマキ

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 電車が少しずつ速度を緩め始める。
 私は座席から立ち上がり車窓を眺めた。
 懐かしい田原城跡が見える。変わらぬ景色だ。外堀には鴨の親子が穏やかな春の陽射しを受け、心地良さげに浮かぶ姿があった。
 現在の城跡には天守閣に代わって中学校の鉄筋校舎が構えている。
 中学生の頃、よくポケットに忍ばせた給食のコッペパンを鴨たちに与えたものだ。さっき見た鴨たちはあの頃に出会った鴨たちの子孫だろうか、などと想像してみたりする。
 桜が咲くには少し早いようだ。この辺り一帯は春になれば桜が咲き、秋には桜紅葉が美しい。四季の織りなす風情を感じる心など持ち合わすことなく、寒さや暑さといった感覚だけで季節の移ろいを感じる少年は、あっという間の三年間をここで過ごした。

 二十年ぶりに踏みしめた故郷の地。まるで時代の流れに取り残されたように、そこには子どもの頃からずっと変わらぬ景色が広がっていた。まるで、私だけが時の流れに逆らい一人足早に歩みを進めてきたような感覚さえ覚える。

「藤井!」

 目の前に停まった黒塗りの高級車。運転席に座る男性が体を傾け、全開にした助手席の窓からこちらに呼びかける。
 中学の同級生である笹本誠だ。数年前、東京で会った時よりも随分と額が広くなり髪は白くなった。どうやら私の送ってきた時の流れは正しかったようだ。
「悪いな、ありがとう」
 私は軽く右手をあげた。
 お互い六十五歳。世間でいうところの高齢者である。
 単身高齢者が賃貸物件を探すには多くの苦労が伴うらしい。『孤立死』というものが世間一般で周知され、家主はそのリスクを回避したいところ。あからさまに拒まれることはないが、貸し渋りを思わせる対応をされることは決して少なくないそうだ。
 私の狭く深い交友関係が功を奏した。だからと言って何かを期待していたわけではなく、ただ人付き合いが苦手だった結果ではあるが、仲良くなった相手には精一杯尽くすのが私の性分である。
「お前には世話になったからなぁ」
 その言葉を合図とするかのように、右側のウィンカーを灯した車は人気の無いロータリーを出発した。
「確かに、いろいろとお世話したな」私は笑って返した。
 そう、彼には随分と世話をしてきたのだ。
 それは学生の頃まで遡る。当時、勉強が苦手だった笹本に大学入試の直前に参考書を貸してやった。
「お前のおかげで合格したよ!」
 そう言って私の体を強く抱きしめた笹本だったが、それはお世辞でも謙遜でもなく、揺るぎない事実であった。彼の苦手な日本史で試験に出た問題を参考書が的確に捉えていた。その点数が合否を分けたのだ。
 それ以降も人生の節目にはいろんな相談に乗っている。金を貸してやったこともあるし、何より彼の妻を紹介したのは私だ。
 そんな笹本も私と同じ性格である。彼もまた恩に報いる男なのだ。つまり、私自身も彼には随分と世話になってきた。今回のこともそうである。
「格安でいいよ、どうせ遊ばせてるだけだし」
 笹本の母は九十五歳まで一人暮らしを続けていたが四年前にこの世を去った。
 学生時代には、よく「早く帰って勉強しなさい!」なんて叱られたもの。パワフルな女性だった。前日まで元気に畑作業をしていたそうだが、翌日の朝には布団から出ることなく、そのまま息を引き取ったらしい。まさに「眠るようにして」である。彼女らしい最期だった。
 笹本は老朽化した実家を取り壊し、そこにワンルームマンションを建てたのだ。二階建てで八室しかない小さなマンションは、タイミング良く一階の一室だけが空いていた。長年使ってきた膝に痛みを感じる今日この頃である。階段の昇降が辛い私にとって、むしろ一階は幸いなことだった。

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