【ARUHIアワード12月期優秀作品】『マイ・スイート・ホーム~ここが私たちの終の棲家~』山崎ゆのひ

「ああ、疲れた。いくらマイホームに帰るとはいえ、朝夕満員電車で1時間半はまいるよ。風呂、湧いてる?」
「お疲れ様。ごめんなさい、私もついさっき帰ったところなの。地域の集まりの後、澤村さんと駅前で買い物してから送ってもらったんだけど遅くなっちゃって。すぐにお湯を溜めるから、ちょっと待っててね」
 舌打ち。トクン、と私の胸の鼓動。
「しょうがないな。じゃあ、先に飯だ」
「それも、シチューを作り始めたところだから、もう少し煮込まないと……」
「なんだ、亭主が疲れて帰ってきたのに、飯も風呂も用意ができてないのか。いったい、何十年専業主婦をやってるんだよ」
「だから地域の集まりがあって……あなたがこんなに早く帰るなんて思わなかったから……」
 直彦の怒りのボルテージが上がっていくのにつれ、胸の鼓動が高まっていく。
「要領が悪いな、お前は! 用事があるなら出かける前に家事を済ませときゃいいだろう? いったいどっちが大事なんだ? 外で働いて金を稼いでくる俺か? それとも暇を持て余して、しょっちゅうバザーだの懇親会だの企画してる地元の連中か?」
「ごめんなさい……」
「もういいよ、俺が湯を張るから。風呂に入ってる間に飯食えるようにしといてくれよ!」
 直彦はどすどすと廊下を歩いてバスルームに向かう。この家に引っ越してから、怒りの沸点が低くなったようだ。私はやっと胸の震えが収まり、溜息をついた。直彦は正しい。朝、家を出る前に夕飯の用意をしておけば良かったのだ。冷蔵庫には何も残っていなかったのだけれど。

 テレビのスポーツニュースの音が聞こえてきた。お風呂に入り、シチューを食べると、直彦の機嫌が直ったらしい。今のうちに頼みごとを言っておかなくては。私は夕食の片付けを終えて、リビングに入った。直彦は上機嫌で缶ビールを開けている。
「あのね、あなた。拓斗の大学の後期の授業料、今月の28日までに振り込まなきゃいけないんだけど」
 途端に直彦が不機嫌になる。
「もうそんな時期か」
「ええ。それが26万8,000円。あと、クリスマスに地域のバザーで手作りの小物を出すことになったの。材料費に1万円ほど頂けたら嬉しいんだけど」
「地域ぃ?」
「だって、友達も知り合いもいないここで私がお付き合いできるのって、地元の人ぐらいよ。前みたいに習い事をしたくても、あなたはお金を出してくれないし」
 舌打ち。缶を潰すグシャッという金属音。トクン。
「まったく、拓斗といい、お前といい、俺から金をむしり取るヒモのような奴らだな。俺だってローンの返済があるから、付き合いの飲み会も2回に1回は断ってるんだぜ。もっとやり繰りの工夫をしたらどうなんだ?」
 私の胸の鼓動が再び高まっていく。
「ヒモだなんて酷い!うちにお金がないのは、そもそもベンツのローンを支払い終わってないのに、あなたがこの家を契約したからでしょ? しかも、建て売りでいいって言ったのにデザイナーズハウスにしちゃったし」
「一国一城の主は男のロマンだぞ。お前だって、これで終の住処ができたわねって喜んでたじゃないか」
「そんな気楽なもんじゃないわよ!」
 私はテーブルをドンと叩いた。バザーの件はともかく、息子の学費については秋口から何度も耳に入れているのだ。私は胸の震えを抑えて口を開いた。
「拓斗が頑張って国立に入ってくれたから良かったものの、仕送りだってまだあと2年残ってるのよ。私なんか家計費10万円も減らされて、ギリギリの中でやり繰りしてるの。風邪をひいても、月末は病院に行こうか迷うようになったわ。買い物だって駅前まで自転車で30分もかかるのよ! 私は免許を持っていないから、雨の日は重い荷物を下げて1時間歩いて帰る。見かねたお隣の澤村さんが車に乗せてくれるの。そんなご近所付き合いは大事にしたいわよ!」 

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