【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『ハミングの悲しさを伝えたかった』ゼロの紙

 ジョウさんの店は俺のバイト先のデパ地下から歩いて5分程のところにあった。この辺りは駅前でも美容院の激戦区でいままでもいくつもの店が次々に潰れては街の顔を変えていった。
 その点、ジョウさんの店は大きなフランチャイズらしく今のところ健在で、それなりにお客さんもついているらしかったけど、それはそれで厳しいらしかった。
 空になった美容院はひっそりとしていて、鏡の間のようにどこか落ち着かなかった。
「好きなところ座ってよ。コーンスープとか飲む?」ってジョウさんが言ったから、今どきそれトレンドなの?って笑った。
そしたら客にはださないよ、俺用だね。
 なにげなく窓側の席から2番目の場所に座ってみた。
 鏡に映るネオンサインばかりをみていた。
 ジェリービーンズみたいな光が、夏の夜空にちりばめられてぜんぶ空に滲んでるみたいにみえる。
 ジョウさんがコーヒーカップに入れたコーンスープを持ってくるとき、翔ちゃんもその席すきなんだねって、意味ありげにわらった。
 俺は回転する椅子のまわりをみて、不可思議に想いジョウさんをみた。
「その席、好きなんだ。はじめてパパさんが来た時もそこだった。親子だねぇ。いっぱい座る場所があるのにさ、そこがいいなんて。みんな端っこ選ぶんだよ無意識に。なんか守られたいみたいだからかな?でもパパさんと翔ちゃんはそこなんだ。おもしろいね」
 親父がここに来たことがあるってその時はじめて知った。

 ネオンの写り込む鏡の前に向かってしゃべるジョウさんは、なんかとても遠い人のように思えて、じっと黙っていたら大丈夫だよタダでやってあげるからって笑う。
 いいよいいよ、俺が切ってほしいんだから。ちゃんと払うってば。ただなら切ってもらわないからって俺は言葉を被せた。
むきになるところ似てるねってジョウさんはわらった。
軽くシャンプーしたあと、もういちど椅子に座ると。じゃ、翔ちゃんハサミを入れさせてもらいますって神妙な表情で俺の髪を切る音が耳元でした。

小気味いいハサミの音が耳の側で聞こえる。ちょっとだけ過去になやんだ時間を携えていた髪が、ばさっと床におちてゆく。おちつかない獣の尾っぽが、しだいにおちついてゆくような。あたらしくうまれかわったような。

 商店街のネオンの映りこむ鏡に向かってしゃべるジョウさんは、なんだか夢のなかの人のように思えてきた。
 ぽつりとジョウさんは言葉を零す。「ねぇ翔ちゃん夏って好き?」ってふいに聞いてきた。
答えようと思っていたらジョウさんは、「翔ちゃんに怒られるかもしれないけれど、パパさんと、翔ちゃんとは家族みたいに思ってた時があるんだ」
「家族。僕は恵まれなかったからさ。翔ちゃんとパパさんに出会ってそんなきもちになっていたことがあったんだよ。夏ってさ、家族を思い出すから嫌いだったんだ」
 ジョウさんのハサミの音が耳のそばで細かく刻む。
「でもさ、パパさんと翔ちゃんとも夏を過ごしてみたら夏きらいじゃないなって。むしろ好きになっていた」
 俺がじっと喋らないでいたら、「うざいって思ってる?」
 俺はそれでも言葉にならなくて、ハサミの音がかちかちなるのを聞いていた。
 そして、ジョウさん髪切ってほしいんだって言った時とおなじように俺は言った。
「ジョウさん、家族になればいいよおれんちの」
 ジョウさんと鏡越しに目があって、翔ちゃんそういう冗談はぁ?って言いながらもあの日みんなで会っていた時のジョウさんの笑顔が少しもどっているような気がしていた。
 この鏡が記録してくれていたらいいのに。夢のようなこの時間を。

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