【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『イッヌ』小田虹里

 そういえば、Mまるは女の子なのだろうか。
 いや、私たちだってジェンダーレスだ。ぬいぐるみ界も今では性別なんて関係ない。

「家に帰ってから着せてあげよ?」
「へへへ~。Mまる、可愛い服買って来たからね! 家帰ったらお着替えしようね」
「うん!」
 返事はMまるからではなく、隣に居る旦那からだ。声を高くして、Mまるの声を代弁してくれる。それで私は幸せだった。それが、Mまるの声だと信じているからだ。
 家に着くと、早速Mまるのお着替え会が始まった。裸にピンクの襟を付けているMまるにすっぽりとピンクのドレスを被せる。やわらかな桃色だ。レースは白も混じっていて、全体的に淡い雰囲気で、胸元にだけしっかりとした蛍光ピンクが際立っている。
「よいしょ、と! 着れたね、Mまる!」
「似合う?」
「似合うよ、似合う!」
 旦那の腹話術によっておしゃべりするMまるは、何だか誇らしげな顔に見えてきた。頬には初めからチークが付けられている。それがより、得意気な表情を強調させる。
「せっかくお着替えしたんやし、お出かけでもしたいね」
「季節的に紅葉なんて見に行けたらいいね」
「それなら、高山にでも出かけてみる?」
「高山本陣見に行ってみたいなぁ。有名だよね」
 私たちは、岐阜県高山市にある本陣を見に行くことにした。車で下道五時間程度かかる距離を、旦那は慣れない長距離運転してくれることになった。私たちの仕事の休みは一緒だった。ふたりの休みの日に、軽自動車を走らせ岐阜の山道を北上した。細い道をくねくねと。その山や谷の様子を見ても、紅葉は美しかった。都会育ちの私には、この景色も珍しい。高いビルなんてありゃしない。代わりにあるのは、高い木々、山、そしてせらせらと流れるゆるやかな川。岐阜のため、周辺に海はない。
 朝早くに出て、昼過ぎにやっと高山へ入った。古い町並みが好きなのは、旦那も私も一緒だった。きゃっきゃとはしゃいでは、辺りをキョロキョロする。本陣までもう少し。それらしき建物の近くに、たまたま軽自動車一台分、止められるパーキングを見つけた。やはり観光地とあって、駐車場料金は高いが、それなりの価値があるなら、対価というもの。私は降りると、よいしょとお気に入りのベレー帽をかぶった。赤色のそれは、旦那が誕生日にプレゼントしてくれたものだ。旦那は車を降りると、当たり前の顔をして、Mまるのシートベルトを外していた。
「え、Mまるも連れて行くの?」
「もちろんやけど?」
「でも、他の人の邪魔にならないかな……」
「しっかり僕が抱っこしとくから、大丈夫やって!」
「ん、うん……」
 周りの目が、ちょっとだけ気になっていた私は、自分では抱っこすることを選ばなかった。けれども、旦那はなりふり構わず百均の自撮り棒とMまるを抱えて歩き出す。本陣で入場料を払うと、説明係のボランティアの方だろうか。六十代超えたように見えるおじさんが、本陣の使われていた当時の写真パネルを持って近づいて来た。ウサギの釘隠しの説明をしながらも、視線がちらちらと旦那の懐に向かっていることに、私は気づいていた。
(あ、怒られるかも)
 嫌な予感がして、旦那に声を掛けようとした……その時だった。
「この子!」
(やば、間に合わなかった!)
「秋田犬やないかい!?」
 嬉々として声を掛けてきた案内係のおじさんは、居てもたってもいられないという勢いで、旦那に近づいた。旦那も若干面食らったところがあって、『あ、はい』と出遅れる。
「秋田犬のMまるっす」
 旦那はにこっとして、おじさんに応対した。おじさんもニコニコが止まらない。
「僕の家にもね、秋田犬が居たんだよ。ごんたって言ってね。とっても可愛かったんだ」
「そうなんですね! 一緒やないですか!」「そうそう、ほら、この子なんだ。去年の夏に亡くなっちゃったんだけど。今でも可愛くって」
 おじさんは、スマホを取り出すとややもたつきながらもぴっぴと指で画面をスクロールさせていく。そこには多くの写真が並べられていた。ひょこっと顔を出すと、そこには何枚もの秋田犬の写真が嬉しそうに輝いていた。随分と多くの枚数を撮影し残されている。それだけでも、ごんたくんへの愛情を感じた。
「この子がごんただよ。優しい目で、ちょっとつり目なところが秋田犬だなぁって。いいねぇ、Mまる可愛い服着せてもらって。いいねぇ」
「Mまる、よかったなぁ」

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