【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『あと2メートル』太田 純平

「今日のデート……」
 彼女が先に言葉を発した。
「今日のデート……ひどかったね」
「……」
 確かに思い返せば今日のデートは散々だった。
まず、午前の映画では隣に座れなかった。二人の座席の真ん中に「感染症対策につき、ここは座れません」とあって、僕と彼女の座席は二席分の距離があった。これでは一人で観ているのとあまり変わり無かった。
ランチもひどかった。せっかくイイ店を予約したのに、「黙食をお願いします」とのことで、椅子を互い違いに配置されるし、彼女とは全くしゃべれなかった。
ボーリングなんて一人、一レーンだった。これじゃあ隣同士でただボールを放り合うだけ。しかも彼女のほうがスコアが良いという。
それでも僕は楽しかった。やはり好きな人と共に過ごす時間は格別である。やはり人と人は顔を突き合わせて触れ合わなければ生きてはいけない。僕はこの一年、自宅で過ごしながら、未知のウイルスが流行する前の世界を思い出し、反省していた。手の触れられる範囲に彼女がいながら、何故、もっと積極的にいかなかったのかと。何故――。
そんな秘めたる想いを、ついに僕は、素直に彼女にぶつけようと思った。
「きょ、今日は――」
 素っ頓狂な声で僕が彼女に切り出した。
「一日、デートに付き合ってくれて、ありがとう」
 少し間があってから、彼女は「ウン」と答えた。
「本当に楽しかった」
「ウン」
「世の中がこんなになっちゃって、久しぶりだったもんね」
「ウン」
彼女は「ウン」としか答えなかった。それでも背中から言葉以上に感じるものはあった。決して雰囲気は悪くなかった。むしろ彼女と気持ちは同じ気がした。あとは僕のほうからその二文字を告げるだけな気が――。これまで空きっぱなしだった二人の距離は今や0メートルなのだ。
「ぼ、僕は……」
告白というゴールに向かって列車が動き出した。
「ぼ、僕は……」
 声が震える。たった二文字がどうして言えないのか。
「ぼ、僕は……い、家にいるとき……君のことしか……考えて……いなかった……」
「……ウン」
本音は「私も」と言ってほしかった。
「ぼ、僕は……僕はね……僕は……キ、君のことが……」
 ここまでは言えた。さぁ、あと二文字だ。むしろこの文脈で次に出て来る言葉は「スキ」の二文字以外あり得ない。
「す……す……ス……」
 ――と、最後の一文字を言い掛けたその刹那、突然、部屋に誰かが入って来た。そして無遠慮につかつかとロフトの階段のところまで歩いて来ると、その人物は僕らに向かってこう言った。
「そろそろ、よろしいですか?」
 僕と彼女は慌ててロフトから顔を出して、「ハ、ハイ」と答えた。下にはスーツ姿のお姉さんが立っていた。このモデルハウス見学会の受付係員だった。
「だいぶ気に入っていただいたようで――」
 梯子を下りて来た僕たちにお姉さんが言うと、『モデルハウス見学会』と書かれた資料を配布して、改めて僕たちにお礼を言った。
「この度はモデルハウス見学会にご参加いただきましてありがとうございました。こちら、ささやかではございますが、お礼といたしてまして、3000円分のQUOカードをお渡しいたします」
 受け取った僕たちは、お姉さんに「こちらこそ」と謝意を述べながら、そそくさと玄関のほうへ向かった。その途中、彼女がQUOカードを僕に見せながらガッツポーズをした。お礼のQUOカード欲しさにこの見学会に参加しようと言ったのは、紛れもなく彼女のほうだった。
 モデルハウスであるこの部屋に、次の見学者と思われる夫婦が入って来た。僕たちは入れ違うように部屋から出て行きながら、自然と、手を繋いだのだった。

『ARUHI アワード2022』8月期の優秀作品一覧は こちら  ※ページが切り替わらない場合はオリジナルサイトで再度お試しください

~こんな記事も読まれています~