アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた8月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
「なんか自然素材の家って感じ」
木目調の天井を見上げながら彼女が言った。黒いニットにチェックのスカート。サラリと伸びた黒髪は肩甲骨の辺りで波打つようにうねっている。初秋の午後の光と相まった彼女は西洋の芸術のようで、この北欧風の家の雰囲気によく合っていた。
緊張しいな僕は、一つ屋根の下、好きな女の子と二人きりな状況に震えながら「フ、フローリングなんか無垢材だよ」と、床を撫でながら彼女に言った。
「ムクザイ?」
彼女は元から円らな瞳をさらに丸くして僕に訊き返した。
「む、無垢材っていうのは、一本の丸太から切り出して作った木材のことさ。木そのものの温もりや優しさを感じられるのが最大の魅力で、接着剤とか化学物質を使わないから、健康にも環境にも優しいんだ」
つい早口になってしまう僕の説明を聞いているんだかいないんだか、彼女はクリーム色のソファに腰を下ろすと、その柔らかさを確かめながら「さすが建築学部って言ってほしいわけ?」とイタズラっぽく言った。
「い、いやぁ、別に……」
僕と彼女は大学生。学部こそ違うが同じキャンパスで、第二外国語の授業で隣同士になったのをきっかけに仲良くなった。ちなみにまだ付き合ってはいない。
リビングに突っ立ったままだった僕は「む、無垢材は、コンクリートの二倍の断熱性があって、フローリングとしての機能も――」なんて具合に解説を続けながら、さりげなくソファのほうへ近づこうとした、その時だった。
「ちょっと!」
彼女はすさまじい拒否反応を示してソファから離れた。まるで危険人物から遠ざかるように。
「ソーシャルディスタンス!」
間髪入れずに彼女が叫んだ。僕と物理的に2メートルの距離を保って。
ソーシャルディスタンス。直訳すれば「社会的距離」。未知のウイルスが流行し、世界が未曾有の危機に瀕している昨今。人と人との間に一定の距離を保ちましょう、という趣旨でこの言葉が使われるようになった。一定の距離というのは、概ね2メートル。だから彼女は、接触や飛沫によるウイルス感染を恐れて、咄嗟に僕と2メートルの距離を置いたというわけだ。
「ご、ゴメン……」
僕はすぐに眉尻を下げて彼女に謝った。彼女も彼女で「ううん、こっちこそ」と言ってはくれたが、僕から逃げるように窓のほうへ行ってしまった。
僕は弱り顔のままソファに腰を下ろすと、縮こまりながら、何かにすがるように傍らのマガジンラックに手を伸ばした。三段になった木製ラックには様々な雑誌が収められていたが、どの雑誌にも『未知のウイルス』『感染症』『ソーシャルディスタンス』などといった穏やかでない見出しが躍っていた。
雑誌を適当に見繕ってパラパラやる。内容なんかほとんど目に入らない。胸にずーんと重たい悲しみが押し寄せてくる。もちろん、ソーシャルディスタンスは今に始まったことではない。僕と彼女は今日一日、お互い2メートルより近くに寄ったことが無い。待ち合わせもそう。映画もそう。おまけにボーリングまで――。
今日はそもそも待ちに待ったデートのはずだった。ここ一年、大学が自宅でパソコンを使ってのリモート講義になったおかげで、自由こそあれ、ほとんど外に出る機会が無かった。そのせいで、学部が違う彼女とは会えずじまい。
ところが最近になって、人類に明るいニュースが舞い込んで来た。ウイルスが弱毒化し始めたのである。感染者の波も落ち着き始めたタイミングだったので、僕は思いきって彼女にデートを申し込んだ。「外で会おう」と。すると、家にずっと居て、くさくさした気持ちだったのは彼女も同じだったとみえ、答えはまさかのOK。それで、オススメの映画やら、カフェやら、いろいろ下調べをして、張り切ってデートに臨んだ、というわけなのだが――。