「ありがとう。で、明日東京に帰るんでしょ?」
「うん」
「あれからお父さんとはどう?」
南美が冗談っぽく聞いてきた。夕食後、孝之は明日帰るための荷物をボストンバッグに詰めながら妹に報告をしていた。
「特に何もないよ。相変わらず親父はあんまり喋らないし。でも意外と似てるとこもあるのかなって思えてきた」
「私昔から思ってたけど、お兄ちゃんとお父さんって似てるよね」
「そうか?」
「うん。上手く説明できないけど、なんか雰囲気が似てる。お父さんもお兄ちゃんもハッキリとは言わないけど、言いたい事とか思ってる事が何となく伝わるのよね」
「そうかな」
「うん。私とお母さんに比べたら二人とも口数少ないし、お兄ちゃんもあんまり自分の事とか話さないじゃん」
「別に話すことも…」
「あっ、そういうとこ!そういうのお父さんソックリ」
そう言って南美が笑った。釣られて孝之も笑った。何だか少し照れくさい。
報告を終えて電話を切ると父の声がした。「おーい」と父の声がする。部屋のドアを開けると階段下に父が立っていた。
「今からちょっと散歩に行かないか?」
「…うん。ちょっと待ってて、すぐ降りるから」
孝之は用もないのに一度部屋の扉を閉め、少ししてから部屋を出て行った。
孝之が子供の頃、一面田んぼだった景色はコンクリートで埋め立てられ道路になっていた。街灯が灯り、歩道には明るい色のタイルが敷かれていた。途中で斜めに延びる小道に入っていき土手沿いに出た。
土手道には街灯がなかったが、川向こうに広がる街並みから漏れる光が歩く二人を照らしていた。
父と二人で歩いた事なんて今まであったかなと孝之は昔の記憶を遡ってみたが思い当たらない。ただ、その事を父には言わない。父も何も話さない。二人の間を夏の夜風がゆっくりと流れていく。
「明日何時のバスに乗るんだ?」
「13時過ぎのだから12時半頃には家を出るよ」
「そうか」
それ以上会話は続かなかったが、なぜか前よりも緊張しなかった。変な気まずさもない。ただこのまま黙って父の横を歩けばいいような気がした。
父が途中で立ち止まり、土手下に降りていく階段に腰を下ろした。孝之も父の隣に座 ることにした。来る途中に家の近くのコンビニで父が買ってきた缶ビールを取り出し、一本を孝之に渡した。
「治るまではしばらくお酒控えてね」
「うん」
シュンとした子供みたいな返事が返ってきた。孝之は土手下を流れる川を眺め、プルタブに指をかけた。隣の父は既に飲んでいる。
「ここで昔、花火見たの覚えてるか?」
「えっ? それ幾つの時?」
「あれは南美が生まれる前だったから、孝之が3歳くらいじゃなかったかな。孝之と直子と三人でここに座って川向こうでやってた花火大会を見たんだ」
父は今も母のことを名前で呼ぶ。
「全然覚えてないな」
「そうか、まだ小さかったしな。あの頃はこの辺もこんなに明るくなくて、真っ暗な夜空に花火がポッと光って綺麗だったな」
父が街を眺めながら言った。
「ものすごく大きな花火が何べんも打ち上がって、お前は俺と直子の手を取って『ほらきれいだね!おっきいね』って花火が終わってもずっとはしゃいでたな」
「へぇーそんな事があったのか」
父が缶ビールをゴクリと飲む。プルタブを開けて孝之も飲む。二人して川向こうに広がる景色を眺めた。建物や家々が放つ光がささやかに二人を照らす小さな花火のように見えた。
翌朝、雲一つない晴天。外では蝉が元気に鳴いている。朝食のご飯とお味噌汁をカチャカチャと代わり番こに持ち替え、父は黙々と食べていた。
いつもと変わらない光景だった。
着替えた後、部屋を軽く掃除してボストンバッグを持つと孝之は部屋を出た。階段を降りると玄関に父が立っていた。父は笑顔で「また帰ってこいよ」と短く言った。
「うん、親父も元気で」
何だか照れ臭くて父の顔を見ずにそう言うと家を出た。
昨夜、父は父にとっても少ない孝之との思い出を再び味わいたかったのではないかと思った。口数は少ないがそういうところが父らしく、似ている部分なのかなと昨日の妹の言葉を孝之は思い出した。
途中で家の方に振り返ると小さくなった父がまだ手を振っていた。表情は見えないがきっと父はまだ笑っているはずだ。孝之も笑顔で手を挙げ、再び歩き出した。
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