アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた8月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
「だからお兄ちゃん、急で悪いんだけどお休みとれるんだったら、お父さんの様子見に行ってくれない?」
「うん。分かったけど、なんでお前にしか連絡いってないんだよ」
「知らないよ。お父さんは『大したことないけど、まぁ一応孝之にも伝えといて』だってさ。そうは言うけどやっぱり心配じゃない。本当は私が行けると良いんだけど、すぐ帰国って訳にもいかないし。だからお兄ちゃんお願いね」
そう言って妹からの電話は切れた。妹の南美は旅行会社に勤めており、現在はサンフランシスコに住んでいる。
南美からの久しぶりの電話に出ると、2日前に父が家の階段から転倒し腕を骨折したという。幸い利き手ではない左手だったので不自由しながらも家事や自分の世話は出来るという話だったが、怪我をした七十歳の父を一人にするのは不安だという南美に父の世話をお願いされたのだ。
「親父と二人かぁ…」
孝之は無意識にそう呟いていた。外でうるさく鳴いていた蝉の音が徐々に孝之の耳に入らなくなっていた。
東京駅から高速バスに乗って4時間、日が傾きかけた頃に駅に到着した。バスを降りると建て替えられて綺麗になった駅が孝之を迎入れた。孝之は有休を使って一週間の休みをとり地元へと帰省してきた。
実家まではそこから市営バスに乗り換えるのだが、孝之は家まで歩いて向かうことにした。久しぶりに帰ってきた地元には新しくチェーン店のドラッグストアが出来ていたり、古本屋だった場所がコンビニになっていたりした。道路も舗装され昔よりも道幅が広くなっていた。孝之の育った田舎町は建物も増えて子供の頃よりもずっと都会っぽくみえたが、街全体はどこか小さい印象を与えた。
「児島」の表札が見え、玄関前で立ち止まりインターフォンを鳴らすと、しばらくして左腕に包帯を巻いた父が出てきた。数年前に会ったときよりも白髪の量が増え、幾分か背中の丸まった父は「おう」と短く言った。孝之は三和土で靴を脱いで上がった。リビングにある小さな母の仏壇にお線香をあげ、高校卒業まで使っていた二階の部屋へと向かった。ドアを開けると懐かしい匂いが孝之の鼻をついた。部屋は整理されていて、壁には昔好きだったバンドの色褪せたポスターが貼ってあった。ベッドの傍らにボストンバッグを置いて一階に降りた。
冷蔵庫を開けると大したものは入っていなかった。が、十八歳から今に至るまで一人暮らしの長い孝之は料理をするのに慣れていた。使えそうな食材をキッチンに並べて献立を考えると早速調理に取り掛かった。夕食の準備をしている間、リビングのソファに座った父はテレビでニュースを観ていた。その光景を孝之は料理を作りながら見つめていた。
父はずっと仕事人間であった。車販売の営業をしていた父は孝之が物心ついた時から単身赴任をしており、毎週月曜日の休み以外は家にいなかった。平日休みのため運動会に父が現れた事は一度も無く、休日に家族で出かけた記憶もない。友達の父親を羨ましく思った時期もあったが、児島家ではそれが当たり前だった。そのため月曜日に学校から帰ると家に居る父を知らないおじさんの様な存在に感じていた。父が唯一休みの月曜日、家族4人での夕食時、テレビのチャンネル主導権は父にあった。バラエティや芸能人に一切興味のない父は決まってニュースや衛生放送でやっている遺跡ドキュメンタリーなどを観ていた。口数の少なかった父はいつもテレビを観ながら黙々と食事をしていた。孝之は他のテレビ番組が観たいと思いながら、口に運ぶご飯もどこか味気ない。無口な父の所為かお喋りな母も妹もいつもより口数が少なく、孝之もまたレアな父の存在にどこか緊張していた。
「飯出来たよ」
「おう、そうか」
夕食を並べていると、冷蔵庫から父が缶ビールを出し、グラスを二つ用意した。
「怪我人が酒はまずいでしょ」
「まぁ、一缶だけだから」
そう言って父は 350ml の缶ビールを半分ずつ注いだ。向かい合って座り小さく乾杯。やはり父は言葉少にチビチビとビールを飲みつつ、衛星放送でやっていたシルクロードの歴史を追ったドキュメンタリー番組を眺めていた。孝之もビールを口に運ぶが殆ど味がしない。明るいはずのリビングもどこかどんよりとしていた。