【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『鶴岡さん』宮沢 早紀

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた8月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

年の離れた人に一方的に話しかけられるのが苦手だ。
大抵、天気とか気温みたいなあたりさわりのない話に始まって、世間話もそこそこに普段はどんなことをしているのか、好きな子はいるか等々、親しい間柄でもないのに尋ねられる。そういうがとてつもなく嫌いだった。
進学を機に地元を離れて新幹線の駅のある県へ出てきたら、幾分マシになった気はするが、それでも突然かつ一方的に話しかけられる可能性はゼロではなく、俺は年の離れた人には極力近づかないようにしていた。
 今、俺のすぐ横で学生っぽい若い男二人がおじいさんに話しかけられようとしている。
おじいさんの体は二人が隣のテーブルにやってきた時から不自然なくらい二人の方へ向いており、ウザくないといいけどと半ばあきらめつつ、でも祈るような気持ちで二人を見守った。テーブルに広げた就活の面接対策のノートから何回も顔を上げて様子を伺ってしまうのは、自分に飛び火しないかが心配で警戒しているからでもあった。
「学生?」
 おじいさんがどちらかと言えば話しかけやすそうな丸顔の方を最初に見たのを、俺は見逃さなかった。
「あ、はい」
「試験勉強か?」
 丸顔が答えるより先に、おじいさんは二人の参考書を無遠慮に覗き込む。
「いや、課題っすね」
「難しそうなのやってるなぁ」
「まあ……はい」
 二人は顔を見合わせて困ったように笑った。
おじいさんは「最近の学生はあんまり遊ばないんだな」とか「俺たちの頃とは違うよな」とか、好き勝手な感想を言うだけ言い、会話が全く盛り上がっていないことについては気にすることのないまま「じゃ、お先」と満足げに去っていった。
こういう感じが嫌なんだよな、と小さくため息をつく。俺はお疲れ様、と心の底から二人に同情した後、再びノートに目を落とした。

「缶の回収は昨日だったんですよ。悪いんですけど、来週出してくださいねぇ」
友達と宅飲みをした日の翌朝、空き缶がみっちりつまった袋をごみ捨て場へ置いた瞬間、後ろから声をかけられた。
緊張しながら振り向くと、羊羹のような色の作業服を着た管理人さんが申し訳なさそうに立っていた。今までエントランスを清掃していた人よりも小柄で、年齢もいってそうな管理人さんだった。
一週間くらい前に目の前にいるこの人が、自転車置き場でスーツ姿の男からあれやこれやと説明を受けているのに遭遇し、新しい管理人さんが来たということをなんとなく理解はしていた。
垂れ目が強調された顔は、曜日に関係なくごみを出しっぱなしにしておけないごみ捨て場の不便さを憂えているようにも見えたし、住人の多くが決まりを守らなくて、その度に自分が注意をしなければいけないことを悲しんでいるようにも見えたが、前の管理人さんは回収日じゃない日にごみを持っていっても注意してこなかったことを不意に思い出すと、決まりを守っていない俺が絶対悪いに決まっているのだが、無性に腹が立ってきた。
「すみません」
聞こえるか聞こえないかの声で一言だけ謝って、俺は足早に立ち去った。

ある日、授業が休講になっていつもより早く帰宅すると、待ち構えていたかのように管理人さんが駆け寄ってきた。
ごみ出しに続いて、また何か忠告を受けるのかと身構える。宅飲みで騒ぎすぎたか、可燃ごみの中に不燃ごみが混ざっていたか、夜中に思いつきでベッドを移動した時の震動か。
恐る恐るワイヤレスイヤホンを両の耳から抜き取って、現実を受け入れる覚悟を決めた。
「あの、これ、もしよかったら。おすそわけ」
管理人さんは腕にかけていた、金運が上昇しそうな眩しいくらいの黄色のエコバッグからりんごを取り出した。突然のことで呆気に取られていると、管理人さんはどうぞ、と俺にりんごを握らせた。左右の手に一個ずつ。
青森から届いたというりんごからはほんのり甘い香りがして、一人暮らしをはじめてから果物と言えばバナナくらいしか食べてこなかったことに気づく。リンゴの皮をちゃんと剥けるか怪しく、剥き方を調べるのも億劫だった俺は、もらったりんごは二つとも、そのままかじって食べた。
みずみずしいりんごの食感は実家暮らしの頃の、夕飯の後に何となくテレビを見ながら家族揃って果物を食べていた時のことを思い出させ、我ながらよくそんなことを覚えていたな、と自分の記憶力に感心しつつ、小さい頃にテレビで流れていたCMとか、そういうなにげないことの方が覚えているものかもしれないとも思った。

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