僕は、何をやっているんだろう。またそんなことが頭を過って、今度は無性に腹が立った。その怒りをどこへ向ければいいのかも分からなくて、地に積もった目の前の花びらを、ただ力任せに握り締る。
「……やってみろよ。殺せるものなら……」
負け惜しみのような言葉を漏らして、押し寄せる濁流に意識を委ねようとした時、
「――あの、大丈夫ですか?」
背後から突然、女性の声がした。
そっと目をやると、小奇麗で洒落た服装の若い女性が、こちらを覗き込むように立っている。いかにも充実した生活を送っていますという雰囲気で、見るからに住む世界の違う人間だった。
肩にかかるくらいの長さの髪が、悪戯な春の風の中で柔らかく揺れる。何故かそれは、不思議とあの花を連想させるようで、僕は逃げるように目を背けた。
「どこか具合が悪いんですか? 救急車、呼びましょうか?」
余程のお人好しか、彼女は懲りずにそう声をかけてくる。温かくて優しいはずのその言葉が、心に深く突き刺さるように感じられて、余計に惨めで辛くなった。
だってそうだろう。救急車? 医者に何を言う? 桜を眺めていたら景色に酔いました、とでも言えばいいのか。それなら花見の席も酒要らずですね、なんて笑われていればいいのか。何もかもが皮肉みたいだ。
「――結構です。少しふらついただけですので」
目も合わせないまま、僕はあえて強い口調で彼女に言った。放っておいてくれ、そう冷たく追い払うように。
最低な態度だ。分かっている。それでまた自分のことが嫌になって、更に深く、泥沼に沈み込んで行くような気がした。
しかし、僕のそんな態度にも関わらず、彼女から罵声や非難の声が返ってくることはなかった。どういうつもりか、ただ黙ったままで、寄り添うようにじっとしている。
しばらく二人の奇妙な沈黙が続いて、それにもいい加減嫌気が差し始めた頃、唐突にまた、彼女は口を開いた。
「……あの、良かったら、これどうぞ」
振り返ると、一本の缶コーヒーが差し出されていた。それを手にする彼女の目には、少しの曇りもない。怒りも、軽蔑も、哀れみすらもなくて、僕は思わず呆気に取られた。
どうして、そんな目ができる? 彼女がどういうつもりでいるのかは分からなかった。しかし、そこにあるものが、他意のない純粋な想いであることは伝わって来る。そんな彼女の手を払い除けることなど出来るはずもなく、僕は迷いながらも、その缶コーヒーを受け取った。
すると、それで気が済んだのか、彼女は一度ニコリと微笑み、そしてようやく去って行った。礼も待たず、振り返ることもなく。
彼女は、吹き付ける桜の花を物ともしない。その悠然とした後ろ姿に、自分の求めているものを見たような気がして、何だか少し羨ましく思えた。
じきに桜吹雪はまた全てをのみ込んで行く。とけるように消えた彼女に、幻でも見ていたような気分だった。しかし、この手には、はっきりとした形が残されている。冷たいはずの金属の缶が、どこか温かく感じられて、ふと馬鹿げたことが頭を過った。
「……誕生日プレゼントか」
何年振りだろう。誰かに何かを貰うなんて。こんな物でも、貰えたことを喜んでいる自分がいて、少し可笑しかった。
本当に些細なことだ。彼女は見ず知らずの他人で、僕の事情も気持ちも、何一つ知っている訳はない。全て、ただの偶然。
それでも、ただそれだけのことでも、今年は何かこれまでとは少し違っているように思えて、繰り返しじゃないって、そう感じられることが、どうしようもなく嬉しかった。
――例年通り家に閉じこもっていたら、きっとこんなふうには……。
そう思った時、唐突に気付く。