アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。
藍鼠(あいねず)の章
――桜の花が舞っている。
夜の闇と街灯の光の中を移ろいながら、無限に湧き上がるように。
空気も、大地も、人の心までもその色に染め上げて、ただ身勝手に、暴力的に、全てをのみ込もうとする。
――僕の一番嫌いな花だ。
この忌々しい季節を象徴する目印。僕が気持ちを逆なでされるのと似たように、多くの人間もまた心を狂わされ、滑稽に振る舞う。
花見と称して酒をあおり、馬鹿騒ぎをする人々。美しいと口にしながら、地に落ちた花びらをゴミのように踏みつけて行く人々。毎年繰り返し咲くのに、散り際を儚いと言って気取る人々。
羽目を外して騒げない僕には、花見の席の楽しさは理解できない。俯いて歩くことが多い僕には、空よりも足元の色がよく見える。繰り返しのような人生を生きている僕には、一瞬だけを切り取って考えることなんてできない。
虚しく歪んで噛み合わないそんな現実が、どうしようもなく癪に障る。
だけど、本当に許せないのは、そんなことじゃないんだ。最大の問題は、今日という日にある。僕がこの世に生を受けた、今日という日に。
世の中には、“バースデイブルー”という言葉がある。誕生日に気分が落ち込むという人間は珍しくないんだ。
一年という周期を区切る特別な日。自分と、そして現実と向き合うことを余儀なくされる。誰もが望んだ自分になれるわけじゃないし、選んだ人生を歩めるわけでもない。突き付けられる現実は大抵残酷だ。
皮肉なことだが、生まれたその日を自らの命日にしてしまうという人間も少なくない。ついでに言うと、一年を通して最も自殺者が増える時期は、ちょうど今頃だ。だから、何となく考えてしまう。
――今日という日が、僕の死ぬ確率の最も高い日なんじゃないかって。
それが、僕にとっての誕生日だ。そしてその日には、当たり前のようにあの花がいつも寄り添っている。まるで見せつけるように、思い知らせるように、何度も何度も同じ風景を繰り返して、強く咲き誇るんだ。目障りな程に……。
不意に風が吹き抜けて、足元の花びらを舞い上げて行った。からかうように体を撫でる風と花びらが、嫌に生々しく感じられる。吸い込まれそうな幻想的風景の中で、それは鬱陶しいくらい現実感を訴えていた。
――僕は、何をしているんだろう。
夜の公園に一人、大嫌いなはずの花を眺めている。
いつもなら、誕生日は家に閉じこもって、ただ静かに過ごす。それ以外の日だって、普通ならこんな景色、目を背けて通り過ぎる。それなのに、何故か今日は、この夜は、家を飛び出して、さまよって、そしてこんなところにいる。
いよいよ末期だろうか。生と死の狭間で停滞し続けることに、いい加減耐えられなくなったのかもしれない。その傾きのない現状を、自分で動かせるような力もないから、漠然と何かきっかけを求めている。いっそのこと、抗いようもない暴力で、天秤を無理やりにでも傾けてくれたら……。
急に目の前の花が、とても妬ましく思えた。ただ繰り返すだけで、誰からも愛されて、必要とされて、それだけで存在価値が普遍的に与えられる。そんなの、ズルいじゃないか。
「……僕はお前が嫌いだよ。お前だって僕が嫌いだろ?」
呟くように呼び掛けても、その声は、ただ花吹雪の中にのみ込まれて行くだけだった。
ゆらゆらと揺れながら飛び回る花びらは、まるで生き物のようでさえある。それは僕という存在を無視しながらも、視界の中へ強引に割り込んで来ては、世界を滅茶苦茶にかき乱して行った。
景色が歪む。それでも構わずにぼうっと眺め続けていると、不意に目眩と吐き気を覚えた。乗り物酔いみたいな、不快な感覚。何故だか、息まで少し苦しい。宙を舞っている花びらの分だけ、空気が薄くなっているような、そんな感じさえする。思わず膝をついて視線を落としても、地面は蠢くようにしばらく揺れ続けた。