アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。
静かで青い朝だった。寝起きの目を強く擦るが私の頭の中はまだぼやけていて、ただ呆然と結露した窓を見つめることしかできなかった。
《娘達を置いて夫がいなくなった――》そういうと聞こえは悪いが真実だ。
四歳の美結(みゆ)と二歳の玲美(れみ)、それに私のお腹にいる三人目の可愛い赤ちゃん・美来(みく)を置いて、このアパートから出て行った。
育児の大変さをあの男は一ミリもわかっていない。失踪した理由はおそらく二つ。一つ目は何かのアイデアを思いつき『実験』をしたいから。
二つ目は〝人類に役立つ発明をする〟という自称発明家の夢を私が否定したからだ。現実的に娘達の将来を考えて、稼ぎの少ない夫にいつまでも趣味に浸っている余裕はないと注意しただけなのに。
私だって好きなことをしたかった。でも〝やってはいけない〟と『あの人』が言っていたから私はそれを忠実に守っている。
『過去をやり直すことはできない。しかし、未来を作り上げることはできる』
夫が娘達によく言っていたのを思い出す。
ねえ、誰か。私の声は届いてる?
救いを求めるように手を伸ばすと床に落ちたリモコンに当たり、【停止】ボタンを強く押した。テレビ画面は消えていたのに何度もそれを押し続けた。
十二月三十一日。二〇一九年、最後の日――。
夫が出て行き、一週間。夜の十一時半を過ぎても彼は帰宅せず。
これまでも常軌を逸した行動は多々見てきたがさすがに連絡がないと不安になる。夫の電話嫌いは有名で、大学の研究所の電話機を水槽に沈めて故障させ、校内の電話線を残らずハサミで切ってしまうという色んな意味で
〝時代を斬る〟偉業を成し遂げてしまったことがある。(※後日多額の弁償済)
近い親戚もおらず、警察に相談するか悩んだが、ただの夫婦喧嘩だと思われそうで何もできない状態だ。このまま居間のコタツの前で新年を迎えるなんて耐えられない。この怒りと不満の矛先をどこへ向けようか。
本日の天気予報では【夜の落雷に注意】と警告があった。
全国の皆さん。落雷に注意する前に「私の雷が落ちますよ」
中野駅から徒歩三十分にある廃墟寸前のアパート『穴開荘』の二〇三号室から逃走した夫『瀬戸際三太郎』改め『大馬鹿三太郎』を見かけましたら、私『瀬戸際立子』までご一報ください。暮れの忙しい時にも関わらず本職(大学の講師)をすっぽかし、某大学の研究室で〝怪しい実験〟に挑んでいると思われます。
夫は私と同じく埼玉出身の三十歳。私はA型、夫はB型。ボサボサ頭に眼鏡をかけて猫背で短足、くしゃみの時は「はっくしょん、べらぼうめっ」と騒ぎます。
高校時代の彼は「結婚したら一軒家の新築を買って子供達と空を飛ぶ実験をして遊ぼうよ」と、今思えば危ない発言をしたり「実験には危険が伴う」と突飛なアイデアで幾度もの危険な行為を繰り返し、高校のブラックリストに載っていたそうだ。デートの時も彼は私をそっちのけで、ボーっと何かを考えながら「物体を瞬時に移動するには【次元転移装置】の技術が必要なのか」と、もはや別次元の空想を抱いており、平凡な人生を送ってきた私にはさっぱりだった。
「犬を飼ったら名前は『アインシュタイン』がいいね」なんて二人で仲良くペットショップで、ほざいていた時期もあったんです。彼は【SFジャンルの作品】が大好きで「映画借りてきたから一緒に観よう」と私の実家に入る口実を見事に作り上げたのも今となってはいい思い出。
『立子(りつこ)』という私の名前は気に入っていたが、結婚後に夫の『瀬戸際』という苗字を受け継いでしまい、私は『大野立子』から『瀬戸際立子』という、なんかギリギリの人生を送っているような名前になってしまった。
しかも、三人目の予定日が来年一月一日なので(明日じゃん!汗)もういつ産まれてもおかしくない。そんな大変な時なのに、唯一、車を運転できる夫が車に乗って出て行ってしまいました。