神社に到着すると膝は笑って息が上がっていたが、意外に爽快感と達成感があった。
境内の厳かな空気に自然と背筋が伸びる。こんなときの立ち居振る舞いにこそ大人の品格が試されるってもんだ。俺はスマートにポケットから財布を取り出し、小銭入れを開いた。
「あれっ。ない・・・・・・」
さっき、自販機でジュースを買った時に小銭を使い果たしていた。
「よし!」
この際、奮発しようじゃないか。五十歳記念の賽銭には千円くらい惜しくない。財布の札入れを覗いた。
「ん? 万札一枚だけ・・・・・・」
俺は手際よく財布を畳むとポケットにしまった。
「神様。今回は出来高払いでお許し下さい。この俺に、いや、このわしにどうか威厳を授けて下さいますようお願い申し上げます」
パンパン-
「よし、これでいい。神様もケチじゃないだろう」
帰りの足取りはやけに軽く感じた。空は高く、風が心地良い。何の鳥かは知らないが小鳥の囀りが聞こえる。ん? 今の香りは金木犀だったような。
いやぁ、これは早くも花鳥風月を感じる大人になったもんだ。こうして威厳というものは醸成されていくに違いない。神様、どうもありがとう。
感謝した直後、遥か前方に見覚えのある人物を発見した。
「芽衣?」
間違いない。芽衣と彼氏が住宅街の坂道をこちらへと上がって来る。一台の自転車を二人できゃっきゃと押す姿は青春そのものじゃないか。なんて目を細めている場合じゃない。
さぁ、どうする。芽衣は俺に気付いてはいない。
悠然たる態度で、すれ違いざまに「気を付けて行ってくるんだぞ」と笑みを浮かべるか? いや、ここは水を差しちゃ悪いから次の交差点を折れてやり過ごすか?
威厳ある父親としては前者がふさわしい気もするが、果たして俺にうまくできるだろうか。
どうしようどうしようと、思案している間に二人は既に交差点を越えてすぐそこまで来ていた。その距離わずか五十メートル。逸れる道もない。落ち着け。窮地に立たされたときにこそ大人の対応力が試される。
俺は即座に街路樹のかげに隠れた。が、俺の体型には幹が細すぎた。
ふぅぅぅっっー
息を吸い込み腹を凹ませ、二人と対面の位置になるよう、幹に当てた左肩を軸にコンパスのように回る。僅かなテンポのズレが命取りだ。仕事でもこんなに慎重になったことはない。
「映画終わったら、うち来る?」
「マジ? 緊張するって」
「大丈夫、大丈夫!」
二人の声は少しずつ遠ざかっていった。我ながらうまく身を潜めたものだ。やればできるじゃないか。いやいや、そんなことより芽衣の言った「うち来る?」の一言だ。
「マジか」
娘が彼氏を連れてくるという初めての経験に俺の心臓は激しく打ち始めた。
こうなれば早急に威厳が必要だ。第一印象が肝心である。毛玉のジャージなんかで出迎える訳にはいかない。
「そうだ」
駅前の寂れた商店街に昔ながらの洋品店があったはず。客が入っているのを見たことはないが、長年潰れずに商店街の景色としてあり続ける店だ。そう、長谷川洋品店だ。今さら帰って出直すのも億劫なので立ち寄ってみよう。
「いらっしゃい」
意図してなのか照明が古いのか分からないが、店内は薄暗く埃っぽい。十畳程の売り場には所狭しと無造作に服が掛けられ、醤油に浸したような色をした紙のタグには、赤いマジックで値段が書かれている。
左手首にガムテープが巻かれたくすんだマネキンは、俺に助けを乞うように見えた。
「何かお探しで?」
口の周りに髭を生やし、長く伸びた美しい白髪を束ねた店主は、ギターでも弾きそうな渋い老紳士だった。
「いや、あの、ちょっと服を探しに」
「あぁ、それならちょうど良い。幸いにもここは服屋さ」
ハリウッド映画のセリフみたいなことを言うじゃないか。
「そうですよね。ははっ、すみません」
相反してすぐに謝る典型的日本人の俺。
「どんな路線でお探しかな? 若く見せたいか? それとも渋さを求めるか?」
「渋さを求めています。威厳のある親父風の」
「了解。任せなさい」