涙が溢れて止まらない。
「帰らなくちゃ……」震える唇で云う。
「気をつけてな」という祖母の声を背に再び駆けだした。
*
家に帰ってすぐ、新也を寝かしつけている母の元へ行く。
「美和、よかった。さっきおばあちゃんから電話があって……心配してたのよ」
「急に走っていくなよ。マジで焦ったわ」
母と兄が駆け寄ってきて云う。
「ママ、幹兄……ごめんなさい」
お下がりが嫌なんて、自分が2番目に産まれたが故の不満を新しく誕生した弟の存在を使って詰るなんて最悪だ。“弟の為に”って思っていたことはただの自己満足でしかなかったことに気づいてしまったから。
「美和」
母の声が優しい。
そうだ。いつだって皆は優しい。
私だけが“姉らしくしないと”と、そんな見えない責任に勝手に焦っていただけ。
「幹也から聞いたわ。『アジ』のこと、話していなかったお母さんたちも悪かったわ。ごめんなさいね」
「……っ」
ちがう。ちがう。お母さんに謝ってほしいわけじゃない。
「私も、ごめんなさい、おばあちゃんから聞いた、『アジ』のこと」
たどたどしく云えば母の肩がピクリと震えた。
「そう、説明していればよかったわね……。まだ言わなくてもいいかなって勝手に思い込んでしまっていたわ。ごめんなさい。もう、美和は中学生でお姉ちゃんなのよね」
「……」
「美和に我慢させていたこと、気づかなくてごめんね。新也のこと、考えてくれたのよね?」
新也を産んでから忙しそうにしているママに気を遣われて涙腺が緩む。
「……ちがう、新也をリヨウして、自分の不満、晴らそうとした、私がまちがってるの、ごめんなさい」
「美和……」
母に抱きしめられてまた涙が溢れてくる。
「―ほら。昼メシ、準備しておいたから皆で食おうぜ」
兄の声がするまで母と抱き合っていた。
そして、「ん~……」と。
「アジ」に包まれ、寝息を立てる新也の純真無垢を材料にしたような甘い声が響いた。
いつも通りだけど違う。
新しい家族としての生活が本当の意味で始まった気がした。
*
「でも結局『アジ』のことをなんで皆、隠してたの?」
母と兄が大変だったことは分かるけど、わざわざ隠すほどのことでもないじゃないの。
冷静になった頭で云えば、母が苦笑いで兄に視線を移した。
すると、うう~……と唸った兄がお手上げとばかりに云った。
「だって、言っちまったらおれ、カッコわりぃじゃん。お前の“兄貴”なのに……」
もごもごと言葉を詰まらせながら続けた。
「妹に、兄の寝つきが悪かったから『アジ』がいるんだって言うの……恥ずくね?」と云うものだから絶句した。
「まさか、そんな理由で『アジ』のこと、隠してたの!?」
「大事なことだろ。兄のイゲンだぞ!」
「はあ?なにそれ!じゃあ、私は幹兄ちゃんの所為であんなに寂しい思いをしてたっていうの!?」
「それは悪かったと思ってる……けど兄貴には譲れないものがあるんだよ!」
結局、言い合いは買い物から戻った父の「ただいま」という声がするまで続いた。
ああ。
なんて、ばからしい。でも、家族の秘密なんて実際はこんなものなのかもしれない。そう思ったら、今度は愉快な気持ちがこみ上げてきた。
なーんだ。
私は仲間はずれなんかじゃなかった。
いずれ、「アジ」も人間のように次世代へと受け継がれていく時が来るのかもしれない。でも、今はまだ「思い出」を大切にしていたい。その思いが私たち家族を温かく包み込んでくれると信じているから。
やっぱり、まだ、どこかでむずむず渦巻いている感情があるけれど、それらをうまく消化できた日が来たなら、胸を張って笑顔で叫びたい。
「アジ」は最っ高の家族だよって!
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(最終更新日:2023.01.10)