【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『アジ』明日香

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

うちの家族には、とある秘密がある。だけど、それを私だけが知らないのはやっぱり、フコウヘイなのかな。
 *
 視線の先に映るのは病室の白いベッドの上で身を起こし、柔らかそうな布に包まれて眠る赤ちゃんを大事そうに抱きしめている母の姿。その顔は涙に濡れながらもとても優しくて、幸せそうで、そして心底ほっとしたようでもあって。
ああ。
私の時も、兄が産まれた時もこんな表情で迎えてくれたんだろうか。そう思うと同時にどこかむず痒いような誇らしいような、とても嬉しい気持ちになった。
 眠っている赤ちゃんを起こさないように近づく。小声で、でも心からの決意を込めて囁く。
 「ようこそ、私たちの家へ。いっぱい甘やかしてやるんだから!」
 *
 「まだそんなボロい毛布、使うの?」
 新也と名付けられた弟が病院から家に戻って1週間が経った土曜日、ずっと浮かべていた疑問を今度こそはという期待を込めて母に尋ねる。
 この家には、ずっと昔から存在している1枚の毛布がある。
 兄が産まれる少し前、結婚祝いに母が友人から貰ったというそれは、淡い空色と紫色の調和がとれたガーゼ生地が2枚重なり、紫陽花の刺繍が施されている。重苦しさを一切感じさせない軽量でありながら外側は柔らかく涼しげで、でも内側の生地は温かく、乳幼児の体を優しく包み込んでくれる。
家族間でこの毛布は「アジ」と呼ばれている。紫陽花の模様だから「アジ」というらしい。ネーミングセンスのなさに呆れてしまうが、家族間のニックネームなんてそんなものだろ、とは兄の幹也の言葉である。
 今年の春で兄は高校生に、私は中学2年生になったばかりだが10年以上もこの家に存在している「アジ」が手放されない理由を、私だけが知らない。
どんなに真意を明かそうとしても誰も教えてくれないのだ。
それが嫌だった。家族なのに、自分の知らない秘密を皆が知っているという事実は仲間はずれにあったように寂しくて、つらい。
 我が家に加入した小さき新入りは早速、リビングにあるベビーベッドの中で「アジ」に包まれている。この家に産まれた赤ちゃんは皆、「アジ」に包まれるのが恒例なのだ。私も兄も、「アジ」に包まれて育ってきたメンバーだ。
しかし、と考える。兄が産まれる前からということは、もう10年以上は経っているということだ。ほつれた毛布の切れ端を見つめながら思う。
そんな年季の入った物を使い続けるなんて、なにか意味があると思って当然じゃないか。
それに新也が産まれた時、私にはある決意があった。
隠され続ける「アジ」の存在理由。秘密にしたいならすればいい、と思う。だけど「アジ」を巡って受けた寂しい気持ちを可愛い弟にはしてほしくない、させてはいけないという強い決意が。
長年、赤ちゃんを包んできた「アジ」は、兄や私の名残で僅かに甘いミルクの香りがしていた。ときには母の家事や育児の苦労を思わせるような香りがするときもあったし、庭に干せば温かな太陽の匂いがすることもあった。
 思い出深い、とは思うけどやっぱり古くさいと思ってしまう。
 「ふふふ。『アジ』は“特別”だから、もうすこし……ね?」
 母が云う。
 いつもこれだ。
 「アジ」が“特別”な理由を知らないのは私だけ。
食い下がって尋ねれば、
「美和にはまだ早いから、聞いても難しくて分からないと思うわ」と。
気に入らない、と思う。何が難しくて何が分からないのか、思考の材料も用意されていないのに勝手に決めつけられることは単純に悲しかった。
「……もういい」
力をなくした足で2階の自室へ上がる。
扉を閉めると同時に涙が流れた。
家族なのに、なんで教えてくれないんだろう。
ベッドに沈み込んで枕に顔を押しつけた。

「――で、話ってなんだよ?」
翌日の朝。今回ばかりはどうしても納得できなかった私は、兄の幹也に話があると切り出して近所の公園に向かった。
一軒家の自宅から歩いて5分もかからない場所にある公園はブランコや砂場といった遊具が豊富に揃っていて、私たちが幼い頃から通っていた馴染み深い場所でもある。
今日は日曜日ということもあって活気づいていたが、丁度いい、と思った。家族間の大事な話をするのに深刻な雰囲気を出したくなかったから。
空いていたベンチに腰掛けながら兄に向かって、
「『アジ』のこと」と云う。

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