「なんでママはずっとあんな古い毛布を使うの?新也がかわいそうだよ」
長男なら、きっと私の気持ちを汲み取ってくれる。そう信じてた。
期待を込めた眼差しで観察すれば、兄はどこか気まずげに視線を泳がせた後、
「いや、あれはあのままでいいんだよ」と云った。
「なんで!?」
兄の言葉に激昂する。正直、もう限界だったのだ。
「どうして皆、『アジ』が居続ける理由を隠すの?大体、なんでただの毛布に名前なんか付けてんの?意味わかんないよ!なんで私のこと、家族なのに仲間はずれにするの?」
「美和」
「新也は3番目に産まれたからお古で我慢しなさいってこと?そんなの不公平だよ!」
「それは違っ」
「私、2番目だったからわかるよ?お下がりの物をもらう気持ち……。幹兄ちゃんと同じ物を使えるのは嬉しい。けど“自分専用”がないのってちょっと寂しいんだよ」
「……」
「幹兄ちゃんに私の気持ちなんて、一生わからないよ!」
「おい、待てって……美和!」
兄の声を無視して公園から駆け出す。
どうして?私が悪いの?私はなにか間違っているの?
ただ、「姉」として、弟を守りたいだけなのに。
わからない。わからない!わからないよ!!
「あら、美和ちゃん。どうしたの?」
息を切らしながら駆け込んだ先は川向こうにある祖父母の家だ。
突然走り込んできた私を見て庭に出ていた祖母は驚いていたが、すぐ居間に通してくれた。昔から家に居たくないときは洋風の自宅とは違う、この和風の家に来ていたから祖母の行動は慣れたものだった。
「おばあちゃん……」
堪えきれず泣きながら祖母に話し出す。初めて芽生えた「姉」としての責任や振る舞いに迷っていること、「アジ」がまだ家に在る理由を誰も教えてくれないことを。
「美和は優しい子だね」
頭を撫でられてじんわりと涙が浮かぶ。
「そんなこと、ないし……」
ズビッと鼻を啜れば祖母は朗らかに笑いながら箱ティッシュを渡してくれた。
「『アジ』は、“特別”なんだよねぇ」
当然のように祖母も「アジ」の理由を知っている。内臓が締めつけられるみたいに苦しい。
「ねぇ、“特別”ってどういう意味?」
泣き腫らした目で必死に懇願する姿を見て祖母は一度迷った素振りをした後、「待ってな」と云い、立ち上がって台所へ向かった。
暫くしてから温かいお茶を二人分運んできてくれた。
橋沿いに咲く桜の花びらが宙を彷徨っている様子を居間から続く縁側から見上げ、祖母は思い出すようにして言葉を落としていく。
「幹くんが1歳になる少し前かねぇ。あの子は夜泣きが多くて、美和ちゃんのママが体調を崩して大変だった時期があったんだよ」
それは知ってる。だけど、母も兄もその頃の話はしたくなさそうだったから、詳しく聞くことができなかったのだ。
「初めての赤ちゃんで、どうしたらいいのか分からなかったのもあるんだろう。あの頃はあたしたちも長野に住んでいて、なかなか東京の家に手伝いに行けなかったから……」
祖母は少し寂しそうな顔をした後、続けて云った。
「美和ちゃんのパパもその頃は転勤で東北の方に行っていてね、ママには心細い思いをさせちまっててな」
「……」
「美和ちゃんのママは自分の体調を無視して、ベッドの下に布団を敷いて寝つかない幹くんを腕に抱いていたそうだ。だけど、幹くんはなかなか寝てくれなかった」
人間の子は人間の助けがなければ育っていけない。ママも気負いすぎちまったんだろうね。後で病院に行ったらストレス性の微熱が続いていたそうだ。
祖母の言葉に胸がぎゅうと呻く。
だけど、と祖母は続けて云った。
「目が覚めて驚いたそうだよ。腕の中にいた筈の幹くんがいなくなってて慌てて周りを見渡したらあの子、ハイハイ歩きで隅にあった『アジ』に潜り込んでぐっすり眠っていたんだって」
「え……」
祖母を呆然と見る。
「美和ちゃんのママが妊娠してからお腹を温めていたのが『アジ』だったんだよ。生物の本能っていうのかねぇ。冬に産まれた幹くんは、自分を守ってくれていたのは母だけじゃないと分かったのかもしれない」
祖母は穏やかに続けた。