【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『川の字』室市雅則

「大丈夫ですか? 水飲みますか?」
 男は子供みたいに頷いた。
 水を飲んで落ち着いたのか男が話し始めた。
 とある事情で、妻を残し、地方へと出稼ぎに行って一年程経った。その間、ろくに連絡もせず、生活費もろくに渡していなかったらしい。そして、こちらで定職が見つかり、ついにこの家に戻った所らしい。
「これからどうするんだ?」
 父の言葉に男は首を左右に振った。
「分かりません。私も混乱していて」
 それはそうだろう。帰って来たら赤の他人が住んでいるのだから。
「あ、玉ねぎ」
 母が箸でホットプレートの玉ねぎをひっくり返した。ちょっと焦げていた。
「あ、このホットプレート」
 男が言った。
「使わせてもらっていますよ」
「加奈―!」
 男が再び泣き出したので、俺は理由を尋ねた。
「このホットプレートで、何度も二人で焼肉をしたんです。二人で囲んで…。安い肉だったけど、美味しくて…。加奈―!」
 母が立ち上がり、キッチンから割り箸と紙皿を持って来た。
「良かったら一緒に食べます?」
 おいおい。
「お、食べていけよ。腹減っているだろ」
 父がそう言ったので、俺はもう反論の余地はない。だが、普通なら断るだろう。
「え、良いんですか」
 おいおい。
「野菜から先に食べましょうね」
「ありがとうございます。うう」
 男は泣きながら、食卓の前に正座し、父と母も座った。
「ほら、お前も座れ」
 俺は観念して座った。
 俺たちはホットプレートを囲んで食事を始めた。
 男のこれまでの人生についての話がメインとなり、不思議にも盛り上がった。まるで家族が増えたような感覚だった。そして、男の姿は俺自身にも重なった。
 上手くいかない人生。
 しかし、違うのは男が「これから」を何とかしようとしている点であった。お金も家族も確かなものは一つもないのに、もがこうとしているのが分かった。それに比べて、俺は少なくとも帰る場所はあるのに、ただ浮かんでいるだけだ。
 食事を終え、男は深々と頭を下げた。
「ご馳走様でした。ご迷惑おかけしました。それでは」
「あの」
 俺は父よりも母よりも先に声を出した。
「泊まっていけば…。こんな時間だし」
 俺は何を言っているのだ。見ず知らずの他人に対して。
「良いよね?」
 俺の口は止まらず、父と母に尋ねた。
「おう、そうだな」
「狭い家ですが」
 俺たちは男を見た。
 男がまた泣き出した。
「ありがとうございます。しかし…」

 俺たちは四人並んで寝た。
 川の字プラス一。
 それにしても両親も男も見事に寝ており、その根性が凄いなと思った。
「大切にするから」
 男が寝言を呟いた。
 男はどんな夢を見ているのだろう。
 あと二本あれば田んぼになるなと思っているうちに、俺も眠ってしまい朝が来た。

「本当にお世話になりました」
 惣菜パンとコーヒーで朝食を済ませて、男を見送ることにした。
「いつかお礼に伺います」
「気にしないでね」
「いや、俺は待っているぞ」
 父がそう言ったので俺も頷いた。
「ありがとうございます」
 男は深々と頭を下げ、去って行った。何度もこちらを見ては頭をしきり下げていた。

「じゃあ、行くか」
 父の台詞に母も俺も身支度を整え、たった一週間ながらも我が家であった部屋を眺めた。
 狭いけれど、良い時間を過ごせたと思う。
 俺たちはリフォームが完了している家に向かって歩き始めた。
 どんな風になっているのだろう。
 新しい日々。
 参っちゃうよな。

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