【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『ぼくたちのスタート』杉菜原 直

「もし、このまま白クマが来なかったらどうする?今日は不在だったからもう対応できない、明日以降になる、とか言われるかも。」
アキが不吉なことを言いだす。
もし来なかったら、どうすればいいだろう。
部屋は明け渡さなければいけないから、とにかくいったん荷物をどこかに移動させなければならない。
「アキの部屋には置けないよね。」
「全部は入らないよ。近所の友達何人かに頼んで、分散して置いてもらう? みんな嫌がるだろうな。それに、荷物を回収するとき、ばらばらに置いてあったら困るしね。」
うーん。どうしよう。
「トランクルームって聞いたことない?」
アキが言って、スマホで調べ始めた。
「市内にいくつかある。ほら、これなら安く預けられそうだよ。」
「じゃあ、最悪の場合は、車を借りてトランクルームに運び込むか。」

12時を過ぎても、白クマは来ない。
「もう一度電話して、今日来てくれるのかどうか確認してみたら?」
アキに言われて電話してよかった。今積み込みをしているところが終わったら、こちらに向かうので、13時頃には来るという。なんとか荷物を運び出せそうだ。
しばらく待っていると、白クマの担当者が来て、荷物をあっという間に搬出した。きっとわざわざ出直してきてくれたのだろうが、何も言わず、丁寧に荷物を運んでくれた。白クマさん、ありがとう。
その後、管理人に立ち合い確認をしてもらった。照明をとり外すのを忘れていたが、他には特に問題もなく、鍵を渡して部屋を出た。

「照明器具、リサイクルショップに持っていく。」
と言うと、アキが、
「私が処分しておく。それより、私の部屋で、一息つかない? 疲れちゃった。」
一つ下の階のアキの部屋に向かう。いつ来てもきれいに整頓されていて、同じ間取りなのに広く感じる。
「照明、その辺に置いておいて。インスタントコーヒーしかないけど。」
と言いながら、お湯を沸かし始めた。
「なんとか終わったね。ありがとう。アキのおかげだよ。」
コーヒーを飲みながら、昨日・今日の引っ越しのことを話しているうちに、あっという間に時間は過ぎていく。
「そろそろ行ったほうがいいんじゃない。飛行機、予約してあるんでしょ。」
「うん。そろそろ行かないと。」
コートを手に取って立ち上がった。今日は羽田空港まで行って、しばらく東京の実家に泊まるつもりだった。
「あっ、待って。最後だから、駅まで送っていく。」

外に出ると、冷たい空気が顔を刺す。3月中旬の札幌はまだまだ寒い。歩道の雪は溶けているところもあるが、建物の影などは凍って固まり、ツルツルになっているから要注意だ。歩道を2人並んで歩くことはできず、アキが前を歩き、ぼくが後ろについていく。
アキが言った「最後だから」のフレーズが、心に引っかかっていた。
昨日・今日と、ずっとアキと一緒だった。こんなに長い時間、一緒にいたのは久しぶりだった。一緒に悩み、一緒に考え、一緒に乗り越えてきた。いつもアキが助けてくれた。たいへんなこともあったけれど、充実した2日間だった。
でも、あわただしくて、肝心なことを話していない。もう先延ばしにはできない。このままでは本当に「最後」になってしまう。どんどん前を歩いて行くアキに、今朝気付いたばかりの予想外の事実を伝えてみることにした。
「札幌と広島、直行便があるって知ってる?」
アキが立ち止まって、振り返る。ハッとした。少し驚いたような顔から、ゆっくりと柔らかな表情に変わっていった。この2日間、アキが広島の話題を避けていることにぼくは気付いていた。そして今、ぼくにはすべてわかったような気がした。
「ホントに?」
賢明なアキは、遠く離れてしまうぼくたちが今後について何か約束をして、お互い負担になってしまうことを心配していた。だから、次にいつ会えるかもわからないけれど、何も言わず、そっとぼくを送り出そうと考えていたんだ。
「1日2便しかないけど、朝広島を出れば、11時頃には札幌に着く。意外に近いでしょ。広島のお土産をもって、会いに来るよ。」
泣きそうな表情になったアキは、くるりと背を向けて、ゆっくりと
「期待せずに、待ってる。」
と言い、駅に向かって歩き出した。
「いつ来るの?」でも「きっと来てね」でもないのは、ぼくに負担をかけないように、というアキの心配りだ。ぼくたちの遠距離恋愛のスタートに、これ以上の言葉はない。やっぱり、アキは最高だ!
駅が近づき、だんだん周囲に人が増えてきた。どんどん前に進んでいくアキを、ぼくはあわてて追いかけた。

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