【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『わた』大西千夏

幼い頃から手芸が好きだった私は、なにかのキットについていたわたを大事に袋に入れて、ちょこちょこ使ってフェルトのマスコットのようなものに詰めたりしていた。あの頃は、本当に少ししかないわたでも、たくさんあると思えていたし、そのわたはキラキラして見えたものだった。
でも今目の前にあるわたを見ても、あまり嬉しくない。あんなに昔好きだったはずのわたが、もっと欲しいと思っていたはずのわたが、こんなにあって、全て自分の思うままにできるのに、なぜだろう。そう考えて、ああ、これはあまりに沢山ありすぎるからだ、そう気づいた。あまりに全部を自分の好きにできてしまう。宝物だと信じていたものが、思ったよりありふれていたのが、幼いころの私からしたら、嬉しくないのだ。淋しい話だ。しかしそれよりもっとずっと淋しいのは、今こうしてわたを手にしてさんざん思うように引っ張り出して目の前にして、少しぼおっと考えるまで、昔わたに対して抱いていたキラキラした感情を他の誰でもない私が忘れていたということだった。

気づいたら、右手でわたをこれでもかというくらい握りつぶしてしまっていた。大事なわたを握りつぶすなんて、昔の私から考えたらありえない。私はすっかり変わってしまっているのだ。そして「あの頃とは変わっちゃったなあ」的な、冷めた距離を置こうとした自分がいることに奥底の私はちゃんと目ざとく気づいている。自分に失望することほど淋しいことはないと、実感した。

我に返った。今私の周りには、自分が抜いたわたが広がっている。このまま寝たら体中わただらけだ。何かに入れなくては。引き出しをあけ、エコバックに使えそうと思って昔買ったのに 1 度もエコバックとしては使ったことがない、茶褐色みたいなクリーム色みたいな色をした布製のトートバックを取り出す。そこに無心に、わたをつめる。押し込める。いろんなもやもやも必死に押し込める。8 分目くらいになる。おなかじゃないけどこの位がちょうどいいかなと思ってやめてみる。持ち手を結んでみると、布製の風船みたいになった。

あー。不安だ。変わってしまった自分も嫌になるし、そしてひたすら働きたくない。そもそもそのせいで今日は眠れていないことを認めざるを得ない。
お金を稼いでやりたいこともそんなにない。今までなあなあに生きてきてしまったツケが回ってきたのだ。居場所が欲しいと思いながら、自分で必死に居場所を探したか、作ろうとしたかと言えば、いいえだった。流れに乗ることばかりが上手になって、自分のやりたいこともなりたいものもない自分。そういう自分に向き合うのがめんどうで、逃げて、その結果また流れに乗って、今に至る。
そもそも社会人になっていいことなんてあるのだろうか。何か大きな失敗をしたときによく「責任をとります」とかドラマで言っているが、私ごときがとれる責任なんてたかがしれているじゃないか。とれませんとれません。責任とりますなんて、そんなたいそうな言葉の責任、私とれません。あー。不安で仕方ない。いっそ明日が来なければいい。ああ、だから時計も見たくなかったんだ私は。こうして時間ばかり過ぎていく。あー…。

気づいたら何かあたたかい感覚が自分の体にあった。気のせいではなかった。布製の風船みたいなさっき自分で作ったクッションを、自分で抱えていた。ふと力をぬいたら、そのクッションのわたがふわあと私の方に広がってきた。押し込めたはずの不安を私は抱きしめ、そして体感した結果、なつかしい安心感を覚えた。

これは何かに似ている…そうだ、迷った末に実家においてきた、大好きだったあのぬいぐるみ…ペロみたいだった。
ペロはいつも私の枕もとにいた。自分で作ったはずだけど、いつのことだろう。少なくとももう 10 年は前の話だ。
自分で作ったもの…イルカもあったなあ。キーホルダーくらいの小さいサイズだったけれど。あ、毛糸のボンボンも作ったような…ああ、違う。あれは友達がプレゼントしてくれたものだ。私が作ったのではない。
そういえばそのイルカのマスコット、確かその友達…なみちゃんにあげていた。そうだ、なみちゃんにあげるために作ったのだった。なみちゃん、覚えているだろうか。

なみちゃん、元気だろうか。

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