【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『風の吹く先で』芦澤りょう

「私からね」
 母が黒を置く。起きて3秒と思えぬ動きで先手を取られた。
 序盤なので私もすぐに白を置く。あらかじめ段取りの決まった儀式のように、お互い迷いなく石を並べる。入学式や遠足、発表会の前日に私が眠れなくなると、よく父が黙って相手をしてくれたことを思い出す。自分主体の母と、他人主体の父が合わさって姉と私が生まれた。人の夜更かしに付き合うなんて珍しいが、強引に始めるところは母らしかった。
「あんた、明日から会社始まるのに夜更かししていいのかしら」
 文字盤の大きな壁時計を見上げて、母が言った。
「寝れないものは仕方ない」
 狙っていた端を取る。
「またそうやって開き直る。いい加減そういうのはやめなさい」母は石を摘んだ手を顎に寄せ、一呼吸置いてから角に置いた。「そういえばめいちゃんも4月から幼稚園だよ」
 だんまりを決め込もうとした私を察知したのか、それを阻止するかのように話を続けた。
 めいちゃん、とは私と7つ離れた姉の娘のことだ。本名は裕香だが、あんたにとっての姪だから、という理由で母はめいちゃんと呼んでいる。その理論なら「まごちゃん」が正しいのではないかと思うのだが、語呂が良いのだろう。
「私と同じだね」
 端から順に、負けじと白へ返す。またこの話題が始まる。私は心の中で構えた。言葉を変え内容を変え、自分の理想的な娘家族を永遠に誉めたたえる。姉ちゃんはどうだ、めいちゃんはこうだ。母は社会的レールを走る子供や孫がたまらなく可愛いのだ。グッと身体にも力を込めて待つ。だがそれは一向に始まらなかった。
 石が交互に置かれ、白黒の数がぱちりぱちりと変わる。お喋りな母がいるといつも休まらないのに、こんなに無の時間が流れるのは初めてだった。勝負が拮抗しているからか?母の顔を盗み見たが、その表情は読み取れなかった。どう考えてもおかしい。
 あれほど心配していた新生活よりも、目の前の母が気になった。そしてそんなことを考えている自分も許せなかった。気づけば思考は飛躍し、自分で諦めたはずの絵も、自分で選んだはずの会社も全て母が頭の片隅で指示を出していたような気がしてくる。全部自分で決めたはずなのに、その決断の全てが何かにコントロールされていたのか。いや確かに私は、母の「有難い助言」に反抗しながら自分で選んで自分で捨てたのだ。しかし小言は無意識に私の脳に入り込み、思考を鈍らせたのだろうか。いやそんな訳はない。そんなはずはないのだ。
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