【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『照る日』ウダ・タマキ

 美月は私たち夫婦が結婚して八年が過ぎた頃、妻が四十を過ぎて生まれた待望の娘だった。
「妊娠した!」
 瞳を潤ませ両手を大きく挙げる妻を抱きしめたのは、三十年前の年の瀬だった。寒空の下、私が仕事から帰るのを玄関前で待っていたそうだ。たかが十秒しか違わないじゃないかと笑った私に、「十秒でも早く伝えたかったの」と笑う妻の顔は幸せに満ちていた。
「ほんと、バカだなぁ」
「ほら、月が綺麗よ」
 二人で見上げた空に浮かぶ月はあまりにも美しかった。だから、私たちは二人の宝を美月と名付けた。

 美月がブランコに腰を下ろし、その小さな手でしっかり鎖を握りしめると、妻がその背中を押し、私が目の前にしゃがんで両手を大きく広げ戯けて見せる。わずかな揺れにさえ「きゃっきゃ」とはしゃぐ姿が、まるで昨日のことのように思い出された。
 どこにでもあるような、ありふれた家族の風景が今となってどれだけ尊いか知る。

 妻がいなくなって当たり前だった日常は消え、不慣れな一人の暮らしを私はただ惰性で送っている。腹が減っては不規則に飯を食い、ぼうっとテレビを見て過ごしては、暗い世間の情勢に気を揉む。

 なぁ、お前は今どこでどうしている? 女性の方が長く生きるのが世の常だと聞いていたぞ。美月が嫁ぎ、これから有り余るほど二人の時間ができたってときに逝ってしまうなんて。そんなのは俺たちの老後の計画に無かったじゃないか。

 その時、背中に加わった衝撃に私の視界は大きくぶれた。
「ちょっと! こんなとこで何してんのよ」
 慌てて振り返る私に向けて、眉間にしわを寄せているのは美月だった。
「おい、心臓マヒを起こしたらどうするんだ」
「そんなヤワな心臓じゃないでしょ」
「どうしてここにいるのが分かった?」
「私達もさっき到着したのよ。雅樹は運転に疲れて休憩してるから、その間にお花を買いに行こうと思ってね」
「花は父さんが買ったよ」
「じゃあ、帰ろう。危ないよ、暑いのにぼーっと突っ立ってさ」
「ぼーっとじゃない。思い出してただけだ。ほら、お前が小さい頃によくここへ来ただろ。覚えてるか?」
「そんなの覚えてないし。ねぇ、そんなことより早く帰るよ。お寺さんも来るし準備しないと」
 耳を貸さない美月に構うことなく、私は話を続けた。
「ブランコを小さくゆっくり揺らすだけでもはしゃいでな。いつも母さんが押すんだ。父さんじゃダメ、母さんがいいって駄々をこねるもんだから」
「分かった分かった。もう帰ろうよ。暑過ぎだって、ホント。もしかして既に頭がどうかしちゃったんじゃない」
 そう言いながら、美月の傾けた日傘が私の頭に影をつくる。

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