【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『散歩しない?』森本薫

 宮本家でさゆりのためにあてがわれた部屋は、居心地の良いものだった。窓から外が見える。カーテンも新しいものだ。さゆりのためにベッドも洋服ダンスも机も新しいものを用意してくれていた。おじさん、おばさんの心使いをありがたく感じた。そのありがたさが、一人ぼっちの身の上を浮き彫りにした。さゆりは、窓を開けて夜空を眺めた。東京と違って星がたくさん見える。星空の中にお母さんとお父さんの顔を思い浮かべた。
「お母さん、お父さんの意地悪。なんで私も一緒に連れて行ってくれなかったの。私はひとりぼっちで、これからどうすればいいの? 私はバレリーナになれるのかしら?」
さゆりの頬に涙が伝った。窓を閉めてベッドに横になるが、眠れない。さゆりは布団をすっぽりとかぶってすすり泣いた。

 部屋に朝の光が差し込んできた。さゆりは起き上がり長い髪をとかし、身支度を終えると、ベッドをきれいに整頓した。ボストンバックを持って、そっと部屋を出た。音を立てないように階段をゆっくりと降りていく。静かにドアを開けて外に出た。
 さゆりはボストンバックを手に田舎道をとぼとぼ歩いていく。早朝なので、車も人も通っていない。向こうの方から、一人の少年が走ってくる姿が見えた。すれ違う時、少年は、「おや」という表情をした。
「やあ」
 さゆりは、一瞬立ち止まった。まさか、電車の中の美少年と再会するとは思いもかけなかった。さゆりは少年を無視して、再びとぼとぼ歩き出した。少年は、さゆりの後ろから駆けてくる。
「ねえ」
 さゆりは振り返らずに、黙って歩き続けている。少年は、すぐにさゆりに追いついた。
「ねえ、きみ」
「なんですか?」
 さゆりは、つっけんどんに答えた。
「こんな朝早くからどこ行くの?」
「駅に決まっているでしょう」
「やっぱり」
 少年は、笑った。
「何がおかしいんですか?」
「駅じゃなくて森に行く道だよ。この先を左に曲がると池がある。散歩には最適なコース
だよ」
さゆりは、意地になってそのまま歩き続ける。少年は、さゆりに並んで歩いた。さゆりは、立ち止まり、少年を睨んだ。
「なんでついてくるのよ」
「さっき言っただろう。最適な散歩コースだって」
 さゆりは、少年を無視して歩き続ける。
「家出すると心配するよ。君の叔母さんが」
 さゆりは足を止め、少年の顔を見つめる。
「なんで知っているの?」
「ボストンバックを持っている。きみ、昨日の電車で一緒だったよね。あんなに見つめられたら俺に気があるのかと思うよ」
 さゆりは、顔を赤くする。
「頭を振りながらピアノを弾いている仕草をずっとしているんだもの」
「頭のおかしいやつだと思った?」
「音楽が聞こえた。あなたの指先から」
 少年は、ヒューと口笛を吹いた。
「この辺のやつらは俺のこと変わっているって言うよ」
「そう思っているの?」
「全然。自分は自分。まわりに合わせる必要なんて微塵も感じない。たぶん、君は俺と同類だね。家出は中止して、散歩しようよ」
「もうしているじゃない。散歩」
「持つよ、カバン」
 少年は、さゆりからボストンバックを取る。

~こんな記事も読まれています~