【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『Feel』遠藤倉豆

 駅から外に出てもその思いは変らない。ロータリーを取り囲むいくつかの商業ビルや、コンビニに飲食店、特に目を見張るものはなく、ごく普通ではあるのだが、変な落書きやゴミもなくて嫌な感じは受けなかった。
 マップアプリを頼りにT図書館に向かい歩き出す。不動産屋があった。張り出されている物件は、昌史が今住んでいる物件よりも安いものが多い。
 人々の往来は活発だ。新しいとは決して言えないが日々の生活が感じられる、そんな家が建ち並ぶ道を昌史は行く。
 やがて道が上り勾配になってきた。そう言えばT図書館は高台にあるらしい。歩道の左側は高くなっていて、道路を見下ろすように住宅が並んでいる。
 額に汗を光らせ、子どもを前後に乗せてわしわしと自転車を漕ぐママさんの姿に見惚れる。でもこれだと電動アシストは必須だななどと思いながら昌史は歩く。
 ふと立ち止まった。脇の擁壁に寂れた看板がある。【入居者募集 山田荘】と書かれている。
 ぐるりと辺りを見回したが、それらしき建物は見えない。ただ屋根付きの駐輪場が歩道の脇にあった。よくよく見れば駐輪場の横からコンクリートの階段が始まっていて、くの字に折れ曲がるコンクリートの階段が高い擁壁を割るように続いている。
 どうやらこの先に山田荘と言う名のアパートはあるらしいが、スロープなどは皆無で、バリアフリーなど全く考えていないことは明らかだった。もちろん駐車場だってない。
 一瞬迷ったが、昌史は階段を上りだした。やがて視界が開け、山田荘がその姿を現す。
「ほう」
 昌史は声を上げた。
 山間にあるような、小さな木造校舎。そんな雰囲気を感じさせる、二階建ての木造アパートが建っている。
 アパートの各戸は道路側を向いているのだが、その手前にきれいに手入れされた庭がある。どうやら庭が校庭のように思えるから、そんな感じを受けるのかも知れない。
 振り返れば、斜面にあるため見晴らしもよく、Tの街並みがずっと先まで見える。各部屋からは、この見晴らし以外にこのきれいな庭も見られるのだろう。
 それにしてもあの階段。よほどの物好きでもなければここまで見には来ないだろう。それにこの建物――と、昌史は山田荘を振り返る。下手に条件検索などしたら巡り会えることはない物件だ。そして逆にそんなものを無視してここまでやってきた者だけが、この感慨に浸れるのだ。
 今まで住んでいたマンションとは違う。軒下に下がる洗濯物や窓際に置かれた鉢植えなど、山田荘からは生活が色濃く漂ってくる。ここにこうやって住んでいる人たちは、あの階段を上り、同じような思いを抱いてここに引っ越して来たに違いない。そんな気がして仕方なかった。
「いいんじゃないか」
 昌史は思わずつぶやいた。
「何かご用ですか」
 品のいい婦人が立っている。小さな鎌を手にしているところからすると、庭の草でもむしっていたのだろう。
「入居者募集ってあったから」
 そう言うと、婦人は「あら」と言って笑った。あとで大家だと知ったこの婦人の笑顔を締めに、昌史はここに入ることに決めた。
 二週間後、一切合切を処分した昌史は、バッグひとつを手に山田荘に引っ越してきた。布団さえも無いのはどうかと思ったが、必要なものはネットで注文しておいたし、今日の午後くらいから届きはじめるだろう。
 六畳一間、そのカーテンのない窓から、昌史は外を見やる。色とりどりの花が咲き誇る庭の向こうに、住宅街の屋根が波のように拡がっている。
 ――あの女性と出会うことはあるのだろうか。
 ふとそんなことを思う。きっとそんなことはないし、別にそれでいい。自分の直感だけで決めたこの場所で、過去は全部棄てた自分の新たな生活が始まる。それで十分だからだ。
 昌史は大きく伸びをする。
 これからいったいなにが起きるのだろう。
 楽しみで仕方なかった。

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