【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『ハハダンジョン』宮沢早紀

 そんな真規子について、貴恵は学生時代の友人に愚痴ったことがあった。
「そんなの、いちいち相談しなきゃいいんだよ」
そう言った後、友人は「いや、でも事後報告したらしたでもっと面倒なことになるのか。そっちの方が嫌か」と貴恵が答えるより先に一人で納得していた。
貴恵はその場では何も言い返さなかったが、そうじゃないんだと心の中で反論した。
真規子と対立してでも、最終的に真規子の承認を得てから次に進みたい思いが貴恵の中にはあり、面倒に思いつつも行く手を阻む真規子を納得させることによって、自信をつけているような節があった。だから、何かを決断しようとすると、貴恵の気持ちは自然と真規子の方へと向いてしまうのだった。
マンションを買ったという事後報告をするのではなく、ローンを組む前に真規子に連絡をしたのも、どこかで踏ん切りがつかない自分がいたのかもしれない、と貴恵は思う。結局のところで真規子を頼っていて、一人の社会人として自立できていないのでは、とも。

「あーくそー! くそぅ……」
 俊一の大きな声がして貴恵が思わずリビングへ出て行くと、俊一は先ほどと同じ位置に座ってテレビと向き合っていた。俊一の、ゲームに対する子どもみたいな熱量に貴恵は感心する。
「何? やられたの?」
「そう。このダンジョン、ムズいわぁ……倒しても倒しても、何回もコイツが出てくる。コイツ、コイツ、コイツ!」
 俊一は画面ごしにこちらを睨みつける、一つ目でごつごつした体つきのいかにも敵キャラといった風情のキャラクターを指差した。何度もやられている俊一を思うと、貴恵には画面の中で小さく揺れる敵キャラの動きがどことなく憎たらしくも感じられた。
「それって攻略本とか、ネットとか見れば、クリアできるんじゃないの」
「何でそんなつまんないことするんだよ。ダメだよ。そんなことしたら、ゲームの醍醐味が失われる」
「なるほど」
「自分でダンジョンをクリアしてこそ、真のゲーマーってもんですよ」
「ふうん」
 なぜか得意げな俊一に一応の反応を示してから、真規子と同じではないかと貴恵は思った。真規子のことはゲームのダンジョンや敵キャラみたいなものだと思えばいいのだ、主人公が乗り越えないと次へ進めないゲームには欠かせない存在なのだと一人納得する。。
画面の中で揺れているコイツと真規子を一緒にするのはさすがにひどいとは思ったが、今日のやりとりを思うと貴恵の中にイライラが立ち上り、一緒にしてしまえという意地悪な気持ちも湧いてきた。
毎度毎度、真規子は貴恵のチャレンジに待ったをかけ、簡単には進ませてくれない。しかし、簡単に突破できてしまっても、それはそれでつまらない。修一風に言えば、ゲームとしての味わいに欠けてしまうのだ。
「何? もしかして貴恵もやりたいの? やる?」
 俊一は真っ黒なコントローラーを貴恵に差し出すが、貴恵は間髪入れずに手で制す。
「いい、やらない」
「そう言うと思った」
 貴恵と修一は顔を見合わせて笑った後、自然と修一はテレビ画面へ向き直り、貴恵はリビングを出て洗面所へと向かった。

さて、今度のダンジョンはどう攻略しようか。歯磨きをしながら、鏡に映る自分の姿を見つめて貴恵は考える。イライラしていた電話の直後よりもおだやかで楽しげな貴恵が、鏡の向こうにいた。
志望校選びの時は結局、どのようにして真規子の理解を得て受験に臨んだかについて、貴恵はその詳細を思い出せなかった。正彦経由で真規子を説得してもらったか、合格できるかわからないんだから勝手にしなさい、と最終的に真規子が根負けしたか。後者だったような気がしないでもない。
今回も時間をかけた「根負け作戦」でいくか。しかし、ローンの手続きは早く済ませたい。「マンション購入 親 説得」なんてキーワードで検索したらありふれたヒントはたくさん出てきそうなものではあるが、俊一も「自分でダンジョンをクリアしてこそ」と言っていたことだし、母である真規子の攻略方法は自身で考えないといけないと貴恵は思っていた。
歯磨きを済ませ、暗い廊下を貴恵は寝室へ向かって歩いていく。胸を張って歩く姿は森を進む勇者に見えなくもなかった。

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