相談すると、先輩にはいつもそのように言われた。その通りなのだ。人が辞めていく理由を追求したってなんの得もない。でも、どこかで私に何か足りなかったのではないかと透明な傷を負っていた。チームをまとめる、軌道に乗せる、会社を成長させる、私にはやらなければいけない事がたくさんある。そう自分に言い聞かせて、傷には気づかないふりをして日々の仕事をこなした。
夜の虫が泣いている。
「望月さんやっぱり辞めちゃうんですか?」
画面越しの矢木ちゃんはすっぴんでヘアバンドをしたままの姿だ。どうやら飲んでいるのはビールらしい。アプリチームの矢木ちゃんとは時々ZOOMを繋いで夕飯を一緒に食べる。
「そうなると思う」
「次とか決まっているんですかね?」
「どうなのかな、そこまで聞いてないけど」
「新しい人員、入れないとですね」
「矢木ちゃん、誰か知り合いとかいない?」
「SNSに投げてみますか」
「助かる」
「送別会とかどうします?やっぱオンラインですかね?」
「収まってきているとは言えね・・・」
「コロナきっかけで散らばっちゃったので、集まるのも難しいですよね。ていうかそもそも当の望月さんが参加するのか問題」
会社の飲み会やイベントに望月さんはあまり参加していなかった。強制ではないのだが、参加しやすい雰囲気を作れていなかったのではないかと思ってしまう時がある。
「本人に参加の意思がなければ無理にやらなくてもいいですかね?」
「あ、美味しい」
望月さんの送別会のことを考えていたはずなのに、思わず声が出た。
「なんですか、それ」
見えもしないのに矢木ちゃんが画面いっぱいに顔を近づけてくる。
「これ、もらったんだけどね、お隣さんに。蕨のキムチ漬け」
矢木ちゃんに見えるようにタッパを画面に向けた。
「なんですか、その美味しそうなものは」
「初めて食べた、ご飯がススムよこれ」
「それ、絶対お酒もススムやつですよ。日本酒とか」
「お酒飲めないからな」
「高崎さん、絶対損してます」
「そうかもね」
「高崎さん、ハードな仕事こなしまくってるのにお酒飲まないでよくやっていられますね。どうやって1日切り替えてるんですか?」
「それね、最近見つけたの」
「なんですか?」
「温泉」
「温泉?」
「そう、今住んでるところの近くにねあるの、小さな大衆浴場っていうの?観光地の温泉っていうのじゃなくて地元の人のための温泉っていう感じだからさ、誰もいない貸切みたいな時もあるのよ」
「だからだったんですね」
「え?」
「最近、画面越しでもわかりますもん、高崎さんお肌ツルツルだって」
「ほんとに?効果出てる?」
パソコンに映る自分の顔を確認した。
「今度高崎さんの住んでるところ遊びに行ってもいいですか?」
「いいけど、何にもなくてビックリすると思うよ。コンビニもないんだからね」
矢木ちゃんは確か東京、それも港区産まれの港区育ちだったはずだ。こんな山と川しかなくて街灯も少なくて、夜の7時には辺りが真っ暗になってしまうところに来たら驚いてしまうのではなのいかと思った。
矢木ちゃんとのZOOM夕食会を終えて、残った仕事を片付けてから桐の湯へ向かった。家から歩いて5分ほどのところに桐の湯はある。辺りは真っ暗で、聞こえてくるのは只見川の流れる音だけだ。
夜の8時、女湯の暖簾を潜ると誰もいなかった。それをいいことに私は無造作に服を脱いで裸になった。髪と体をざっと洗い、湯船に向かった。
足先でお湯の温度を確かめる。最初にこのお湯に浸かった時はあまりの熱さに驚いてしまったが、通ううちに体がどんどん慣れてきている気がする。今では肩まですっと体を預けてしまえるくらい平気になっている。
「あぁ〜」
と思わず大きな声が出る。誰もいないから出せる声だ。ここで暮らし始めて、久しぶりに体が温まるという体験をしている。東京で暮らしていた時は、ほとんどシャワーしか使っていなかった。朝、シャワーを浴びて会社へ向かうと体は冷えるばかりである。それなのに忙しすぎて私は自分の体が冷えていることにさえ気づいていなかった。