アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた9月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
「あんた、ずっと家に籠って何してんの?」
お隣に住むフミさんがお裾分けを持ってきてくれた。
お隣といっても歩いて結構な距離がある。お裾分けついでに、隣に越してきた私の素性を探りに来たのかもしれない。腰の曲がった彼女に手渡されたタッパには蕨のキムチ漬けが入っていた。
「仕事が忙しくて、なかなか外に出られないんですよね」
「仕事って、家の中で?」
この辺の仕事といえば、畑作業や米作りが主流なのだろうか、フミさんは珍しいものを見る目を私に向けた。フミさんの好奇心は止まらなかった。
「ずっと家の中いて、どんな仕事してんの?」
「どんな・・・アプリってわかります?」
「炙り?」
「ア・プ・リです。スマホとかで使える・・・」
フミさんは右手をブンブン振った。
「そっちの方はさっぱりわがんね」
説明するのが大変そうだったので、フミさんが引き下がってくれて少しほっとした。
「あんた、出来るんだってね」
出来るというのは、いわゆる勉強ができるとか賢いということなんだろう。こういうことを言われた場合は「はぁ」とか「まぁ」というような返事をするようにしている。
「サチさんがいっつも、あんたのこと自慢してたよ。東大でなんだか忘れちまったけど、難しい勉強してるって」
専攻は経営学です、という言葉を飲み込んだ。
サチさんというのは一昨年亡くなった私の祖母のことだ。彼女が亡くなった後、誰も住まなくなったこの家は取り壊す方向で話が進められていたのだが、そこにやってきたのがコロナだった。私の仕事はあっという間にリモートになり、東京の狭いワンルームで過ごす日々に息が詰まりそうだったし、ニュースから流れる東京の感染者数を聞くだけでストレスが溜まった。何かを変えなければと思った時に浮かんだのが福島県の只見川の近くにある祖母の住んだこの家だった。
「あんたみたいな若くて賢い女の人が、こんな村に来てくれるなんてね」
“カッカ”というスラックの呼び出し音が聞こえる。
「あんた男は?」
「男?」
「旦那とかいないのかい?」
“カッカ”。再びスラックに呼び出される。フミさんにこの音は聞こえていないらしい。
「ごめんなさい、仕事に戻らないと」
もう少し話したそうなフミさんには申し訳なかったが、パソコンの前に戻らなければいけなかった。これから退職を希望している部下とのミーティングが入っている。コーヒーを注いで私は気持ちを切り替えた。
パソコンの画面に望月さんの顔が映る。彼のZOOMの背景はいつもと同じ、人気RPGゲームのキャラクターだ。
「気持ちは変わらないですか?」
部下から退職の申し出を受けるのは何度も経験していることだったが、この時間には一向に慣れない。
先月、私は会社の執行役員に就任した。33歳、最年少で唯一の女性役員だ。スマホゲームを提供している今の会社へは大学のゼミの先輩に声をかけてもらって入社した。
「ゆくゆくは高崎みたいな人にアプリチームを統括してもらいたい」
出来立てほやほやの会社に来て欲しいと言われた時は、正直迷いはあったが、尊敬している先輩に目をつけてもらえたことが嬉しかったし、若いうちから会社経営に近いところで働けるところに魅力を感じた。在学中からインターンとして働かせてもらい、社員になったタイミングで私はアプリチームのマネージャーになった。アプリチームはアプリを作るエンジニアで構成されているのだが、彼らはコミュニケーションに長けているというよりは職人気質なタイプが多く、チームのまとめ役が欠けていた。
昔から生徒会長や部活のキャプテンを務めていたこともあって、チームや組織のまとめ役に自分は向いていると思う節があった。先輩もそこを買ってくれていたのだが、マネージャーとして働き始めてからは自分の力不足を痛感する毎日だった。チームをまとめていくのと並行して、アプリ障害、クレームの嵐、落ちるサーバー、その他、起きてほしくない事はなんでも起きた。どれもしんどい出来事だが、一番メンタルをやられるのは人に辞められる事だった。働いているエンジニアは私より年上の男性がほとんどだ。私の力不足と、大学を卒業したての社会経験もない女がいきなりマネージャーになるのを快く思ってない人もいて、社員には定期的に去られてしまった。