その日の朝もいつも通り、目覚めた孫のおむつを替えてミルクを飲ませ、洗濯機を回しながら大人三人の朝ごはんと孫の離乳食を作り、朝ごはんを食べたあと孫がハイハイする場所の掃除をしていた。掃除がちょうど終わった時に、高校の同級生から電話があった。電話は高校の時、同じクラスだった友人が亡くなったという報せだった。その友人は昨年の夏に癌が見つかり、放射線治療を続けていたが、今月になってから体調が悪く寝たきりになり、そして今日の未明に息を引き取ったということだった。電話を切ったあと知らず知らずのうちに友人と頑張った部活、ラジオを聴きながら徹夜でやった試験勉強、好きになった相手にどんなふうに告白しようかと思って二人で話し合ったことなどが頭の中を駆け回っていた。一人で涙目になりながら物思いに耽っていると、誰かが私の膝に手を置いた。見ると孫が両手をついて立ってキラキラする瞳で俺を見上げていた。「慰めてくれるのか」と言って思わず孫を抱き上げたら、匂った。ウンチか、慰めるわけないよなと考えてオムツを変えた。そういえば産まれた直ぐ後はウンチも臭くなかったけど、離乳食にしてから臭くなって来たなと思いながら、また死んだ同級生の事を思い出していた。
最後にお見舞いに行った時、この歳で紙おむつしなきゃならなくなったよと寂しそうに笑っていたっけ。俺ももう少ししたら紙おむつをして、妻や娘や孫のことが分からなくなり、毎日訳のわからないことをブツブツつぶやいて、少しづつ衰えて最期を迎えるのかなぁと将来への希望は全くないことを考えていた。
いつしか娘が小さかった時に戻っていた。俺は当時住んでいたアパート近くにあった大型スーパー二階のキッズコーナーにいた。クッションで囲まれたサークルの中で娘が他の子とハイハイしながらボールを追いかけて遊んでいた。少しして遊ぶのに飽きると、俺の方に「ジィジ、ジィジ」と言いながら這ってきた。ジィジでなくてパパだよーと心の中で思いながら、仕方ないかと思った。娘の呼ぶジィジは義父、妻の父親だがこれがとんでもない子供好き。妻が小さい時は母親よりも遊んでくれたらしいけどそれが初孫ができてパワーアップした。義父の家からは車で一時間少しかかるが、それでもほとんど毎日家に来ては孫と遊び、夏はプール、冬は星座観察、子供が喜びそうな行事があると必ず連れ出して遊んでくれていた。当時は家業である乾物屋をやっていたはずだが、あれで仕事は大丈夫なのかと心配する程だった。それに比べて俺は、仕事にかまけて子育ては殆ど妻にまかせ、たまの休みも疲れたと言って寝てばかりいた。そのくせ接待ゴルフの時は早起きしてゴルフの後の飲酒の場にも行き夜遅く帰るという日がかなりあり、そのせいか娘はなかなか俺になついてくれなかった。娘が普段からジィジと呼ぶのも仕方ないとは自覚しつつも嫉妬を感じて、少しはパパと呼んでくれてもいいだろうと思っていた。キッズコーナーで俺の前まで来ても娘はジィジ、ジィジと繰り返していたのて、俺は「ジィジじゃない、パパだよー」と声を出した。