【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『ジィジの長い一日』小沢祐次

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた8月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

きょう家に怪獣がやってきた。もちろん本物じゃあない、我が家の長女の娘、つまりは俺の初孫だ。初対面ではない。娘は実家の我が家に帰って出産して、生後一ヶ月までいたから大体七ヶ月ぶりのご対面だ。旦那のいる八王子に帰った後は、時々電話は寄越すものの、正月も、五月の連休も帰ってくることはなかった。それが先週いきなり「しばらく避難させて」と電話がかかってきた。何だと聞くと、旦那がコロナウィルスの濃厚接触者で自宅待機することになり、用心のため一週間くらいこちらに来るという事だった。バァバ、つまり俺の奥さんは大喜び。俺も嬉しいが照れ隠しに「困った時だけ帰ってきやがって」と一言言って帰省をみとめた。
孫が生まれた日は十月の台風が近づいていた日で、産婦人科の建物が潰れないかとハラハラしたのを覚えている。出産は予定日丁度の十月七日で少し小さめの二千五百グラムだった。病院は感染対策で面会ができず、初めて見たのは退院の日だった。娘の時と同じく猿みたいだと思ったが泣き声は驚くほど大きく、産院でも看護師が対処に困るくらいだったようだ。我が家に来てからもほぼ毎晩大声で泣き続け、赤ちゃん以外は寝不足でフラフラ状態になり、そのため誰が最初に呼んだか怪獣の呼び名が定着した。その週の土曜日、旦那がうちに来て、娘としばらく話した後孫の名前を告げた。どういう理由か分からねえが、七音と書いてドレミと読むんだと。キラキラネームだかなんだかしらねぇけど、幼稚園や小学校の先生は読み方に苦労するだろうし、何より愛称はドレちゃんになるのか、ドラ猫みてえじゃないか。
ともかく、何とか赤ちゃんのいる生活が軌道に乗り、夜泣きも少し治ったかなという生後一ヶ月目に、娘は孫を連れて旦那の待つ八王子の賃貸マンションに帰った。私と妻はそれまでの戦争みたいな日々から何もない日に突然変わり、しばらく気が抜けてしまった。それから約七ヶ月、再び怪獣と生活するようになったのだ。孫は月日を経ておとなしくなったという事は全くなく、更にパワーアップしてやって来た。
声は生まれた時の何倍も大きく、さらに両手両足を、ゴキブリのように動かして恐ろしい速度で家中を這い回り、色んなものにつかまり立ちしては転んであちこちを打って泣き叫び、手に持ったものは直ぐに放り投げたりするので、一瞬たりとも目を離すことか出来なくなっていた。そして抱っこしてほしい時は、抱いてくれるまで大声で泣き続けるのだが、小さく生まれた孫は順調以上の成長を遂げ、体重は八キロを超えていた。数分抱っこすると両腕は痺れ、抱いて近くを散歩しようものなら腰に鈍い痛みを感じ、毎晩、入浴後に妻と湿布を貼り合うのが日課になった。俺はたまに抱っこするくらいで、面倒は娘と妻に任せていたが、孫育ての責任が俺に一任される時が来てしまった。孫が家に来てから三日目、妻は抱っこのし過ぎで腰を痛めて寝込み、母親、つまり娘はそれと同じ日に熱を出して寝込んでしまったのだ。
俺は丈夫なのかな、いや何もしなかったから疲れなかっただけだ。考えてみれば気が向いた時に遊んだり抱っこするくらいで何もしていなかった。ほとんど一日中寝転がって、食事の時間がくると食べてまた横になってテレビを見て、眠くなったら部屋に行って寝る。起きて風呂に入り、晩酌をして酔いに任せて寝る。仕事をしていた時も帰れば風呂に入って飯を食べて寝る、朝は飯を食べて仕事に出る。仕事は一所懸命やったが、結婚してこの方家事なんぞやったことがなかった。妻は朝早く起きて食事を作り、俺と子供を送り出した後は家の掃除、洗濯、布団干し、ワイシャツのアイロンがけ、買い物、そして帰る時には夕食を作り風呂を準備している。昼寝をする暇もなかったみたいだ。それに比べて俺は何もしなかったなぁ。定年になってからも家事には協力して来なかったし、そのせいか最近は妻との会話も殆ど無くなってきている気がしていた。ヨシ、ここは今までの借りを返すつもりで、全力で孫の面倒を見ようと決意した。しかしその道のりは果てしなく遠かった。

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