「作りたいけど、みんなと喋ろうとしたら男子にからかわれるもん。『密です!』って……」
「あいつら、バカだから」
男の子はまるで、自分だけは頭が良いみたいな話し方をする。
「ふざけてないと、怖いんだよ」
「それに、前の学校の友達とちゃんとサヨナラ出来なかったし」
「ラインは?」
「最初はしてたけど、最近もう返事してくれなくなった」
「ふうん……」
男の子はちょっとだけ考えるみたいにそのまま黙り込んだ。葉っぱの上のでんでん虫は、いつの間にか引っ込めていたはずの頭を表に出して、相変わらずのろまではあるが前へと再び進みだしている。健気なことだった。
「俺の姉ちゃんもさ」男の子は言う。
「中学の卒業式が出来なかったって言ってた。三年も一緒で仲良かった人たちと、最後の思い出が作れなかったって」
「じゃあ、すっごく悲しかったんだね」
「最初のうちはね。けど今じゃ、高校の新しい友達とゲームの中で毎日会ってて、島とか一緒に作って楽しそうに遊んでる」
「……何それ」
「俺にも、よく分かんないけど」
男の子はそう言って困った目つきをするが、マイだって向こうがよく分かってないことを言われても余計に困ってしまう。彼はいったい何が言いたいんだろう。
「つまりさ、きっとみんな同じ気持ちなんだよ」
「……よく分かんない」
マイはそれ以上は考えるのが嫌になってきて、男の子を置いてひとりだけさっさと立ち上がった。頭の中が何となくモヤモヤして、不貞腐れたようにノロノロ歩きながら足元にあった水たまりを勢いよく蹴飛ばした。
「――またな!」
男の子を無視してマイは帰ろうとしたが、そういえばと彼女はあることに気が付く。
今は自分も含め、全ての人がマスクをつけて生活している。あの男の子は何故、ひと目見ただけでマイのことを分かったのだろうか。同じクラスメイトとはいっても、転校してきたばかりで、お互い殆んど話したこともない相手だ。
理由を訊ねようと振り返ったが、男の子はもう既に何処かへと消えてしまっていた。マイが何だかキツネにつままれたような気分になっていると、
「山本さーん、お届け物でーす!」
そう遠くない距離から聞き慣れた声がしてきて、ハッと我に返る。見れば、アサガオの茂ったフェンスから十数メートルも行ったところに、マイたちが今暮らしている祖父母の家の玄関があったのだ。
弱まりかけた雨の隙間からはほんの一瞬だが奇跡的に太陽が顔をのぞかせていて、生み落とされた数えきれない程の小さな虹が、少女の前に広がる花畑の表面をキラキラ彩ってまたあっという間に、雨の中へととけていった。
こんな身近な美しさをずっと見落としていたことに、マイは驚きを隠せなかった。
「山本さーん」
「――はい!」
配達員が帰ってしまわぬように、マイは咄嗟に大きな声で返事をしていた。水たまりを蹴散らして、玄関めがけて元気よく走り出していく。
「山本です!」
大きなでんでん虫がその日、東京の片隅で小さな一歩を踏み出した。
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