【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『巣ごもる彼女はでんでん虫』彩条あきら

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた8月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「山本さーん、宅配でーす!」
リビングで宿題をやっていると玄関から声がした。
マイは一瞬だけ顔を上げたものの、何となく返事をする気が起きずにそのまま深いため息をつく。再び宿題に目を落としていると、奥の部屋で仕事中だった母がだいぶ遅れる形で外へと出てきた。
「ちょっとマイ、いるんだったら玄関出てよ」
「あたし、山本じゃないもん」
「いつまでそんなこと言って……はいはーい、今出ます!」
母は小言よりまず、宅配の受け取りを優先した。玄関へと向かうその忙しない足音を頭から締め出すようにして、マイは自分の殻へと引きこもる。
あたしは山本じゃない、津村マイだ。
両親の離婚で突如として名字が変わってから、間もなく半年。だがマイは、その事実を未だに受け入れきれていない。
「あのねマイ、お母さんが仕事大変なの知ってるでしょ?」
すんでのところで受け取った生活必需品や食料品の段ボール箱を重たそうにリビングの床に置きながら、母は今更のように小言を言ってくる。母は最近、ありとあらゆる買い物をネット通販の注文のみで済ませていた。
「ただでさえこんな時にお家の中で仕事が出来るって、本当に運が良いんだからね」マイの母はイラストレーターである。
元々在宅で仕事が出来るのが強みだが、それのみでは収入が心許ないため父と別れてからは目下、祖父母の家に居候中である。作りが古くてネット回線が弱いとか、母はいつも文句を言っている。
小言が煩わしくてテレビをつけると、そこには最近よく見る偉い政治家の人が出ていて、東京の感染者が再び増加しているから今後も不要不急の外出自粛を、とこれまた最近よく聞くフレーズを飽きもせず繰り返していた。
令和二年六月。東京に発出された最初の緊急事態宣言の解除から、ようやく三週間が経とうとしていた。
「じゃあいいよもう。そういう態度とるんなら、マイの分だけお夕飯作んないからね。ひとりだけお腹空かせてれば?」
マイは無言でその場を離れると、部屋に引きこもってピシャリとふすまを閉めてしまう。自分で言っておいて気の毒になったのか、マイの母はふすま越しに語気をやや弱めるように娘をなだめ始めた。
「ねえマイ、お友達とちゃんとバイバイ出来なかったのが寂しいし、悔しいのはお母さんだって分かるよ。でもいつまでもそうしてたって、何も変わらないじゃない。誰かひとりぐらい、新しいお友達できないの?」
両親の離婚が決まったのは、年明けからすぐのことである。
三学期を目途に転校してしまうマイのために、少なくはない友達が、お別れ会のようなものさえも計画してくれた。
ところがそれから一か月もしないうち、謎のウイルスの感染急拡大で国は全国一斉臨時休校を決定した。完成の間に合わなかったあちこち空白だらけの色紙一枚を受け取るのが、当時のマイには精一杯だった。

それでもまだ、転校先で新たな友達でもできれば、自分が津村でなく山本マイになった事実を認めることも出来たかもしれない。だが実際は、新しいクラスメイトに申し訳程度の自己紹介をする機会さえ、それから更に三か月も待たねばならなかった。
外出することも、集まることも、声を出すこともするなと言われる状況下では、新しい名字を呼ばれる機会など皆無に等しく、結果的にマイはひたすら孤立し続ける以外に道がなかった。
「……友達なんて、どうやって作ればいいか分かんないよ」マイは、初めてボソリとつぶやくように言った。
「お喋りしちゃいけないんだもん。ラインだって、仲良し同士のグループじゃ入れないし」社会不安の中では、子どもたちは必然的に元からよく知る友達と優先的に肩を寄せ合う
ものだった。唐突に名字が変わり、住む家が変わり、元の友達とお別れも出来なければ、新たな友達を作ることも出来ない。この半年間、マイの時間は止まったままだった。
「お母さんたちの所為でごめんね、マイ」
いつの間にか部屋に入ってきた母が、そっとマイの頭を抱きしめる。母は微かに鼻声が混じっていたが、本当は母の所為でないことぐらい、マイにも分かっていた。どうしたら彼女の時間が動き出すのか、今はまだ誰にも分らなかった。

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