【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『巣ごもる彼女はでんでん虫』彩条あきら

その日は、季節に相応しい小雨がしっとりと降っていた。
人通りの殆んどない通学路をマイがとぼとぼ歩いていると、ふと視界の端によく見慣れたものが飛び込んできた。アサガオの花である。
駐車場のフェンスに絡みついて広範囲に茂った白とピンクと紫のモザイクアートを前に、マイの心は久々にちょっとだけ救われた気分になる。前の学校の友達と、入学後に最初にやったのはアサガオの栽培である。またこうして通学路の途中で生い茂っている光景は、半年前まで住んでいた家の近くにもあって、マイはほんの一時だが転校前の日常に戻れたような気持ちにさせられた。
分散登校は解除されたにもかかわらず、今もまだクラス内には空席が目立つ。リスクを避ける親の判断で休んでいるのか、あるいは噂の恐ろしいウイルスにかかったのか、マイたちには何も確かめるすべがない。給食時間中には黙食も促される。
教室内で唯一、先生の机の前には透明なアクリル板が立っている。が、そんなものなど無くてもマイにとっては、全ての人たちとの間に見えない壁が立ちはだかっている。いつ何処から襲ってくるか分からない透明な怪物が、マイを他の人たちと引き裂いて、互いに近寄れないようにしてしまっている。
マイはふと、自分の膝ぐらいの高さにある葉っぱに一匹のでんでん虫が這っているのを見つける。親指ほどの大きさもない、ちっぽけで、のろまで、かつ不細工な生き物。友達だった女の子にはカワイイという子もいたが、マイは正直よく分からない。
急にフッと意地悪な気持ちが起こり、マイは傘を差したまましゃがみ込むと足元にあった小枝を拾って、目の前の生き物にちょっかいをかける。枝でつつかれた途端、でんでん虫はビクッと震え、慌てて殻の中に頭をすぼめて引っ込んでしまった。
それでも飽き足らず、マイが枝でつつき続けていると、
「あんまり、いじめんなよ」

頭上から雨粒と一緒に声が降ってくる。マイがそちらを振り向くと、いつの間に近くにやって来たのか、同い年くらいの男の子がひとり、そこに傘を差して立っていた。
「そいつら、臆病なんだからさ」
ずっと見られていたかと思うと一転して恥ずかしくなり、マイは枝を遠くに放り投げて素知らぬ顔をした。今更自分の振舞いがなかったことになる訳でもないのに、考えてみたら滑稽なことである。
「お前さ、今年から転校してきた奴だろ」
「……なんで知ってるの」
「同じクラスだから」
男の子は、そう言って何故だかマイの隣にしゃがみ込む。お互い傘を差しているお陰でごく自然な形で、ふたりの間にはある種の空白が生み出される。思いやりの距離、というものだろうか。
「……アサガオ、好きなの?」
「違うよ。俺はでんでん虫が好きなんだ」
「変なの」
マイの言葉に、男の子はちょっとだけ傷ついたみたいな顔をする。とはいっても所詮、目元にしわが寄ったとか判断できる程度だ。転校したての上にみんながマスクをしている所為で、マイは未だにクラスメイトの顔すら判別がつかないぐらいである。

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