【ARUHI アワード2022 8月期優秀作品】『姉の晩酌』サノアイコ

「うん、いいなぁ」
「うん、いいでしょ」
「ぜんぶなにもかも、新品な生活?」
「基本ね」
「彫刻刀も絵の具セットも?」
「…何年前のこと根に持ってんの」
夕方のスタバはいつも混んでいる。
びびちゃんは少しボリュームを上げて話す。
「こんなこと言ったらサヤは嫌がると思うけど」
「何?」
「サヤのお姉ちゃん、あたしは好きだよ」
「ふうん」
「不服そうだねぇ」
「不服ですよそりゃあ」
びびちゃんとわたしは幼馴染で
昔は一緒になって姉に遊んでもらっていた。
「なんで?なんでそんなに嫌いなの?」
「いっつもお酒飲んでるもん」
「いいじゃん、社会人なんだもん」サヤも来年からそうなるかもよー と、びびちゃんはにやける。
「わたしはなんないよ。飲めないし」
「確かにねぇ。でも、あんなお姉ちゃん居たらあたしは嬉しいけどなぁ」びびちゃんはズズズと音を鳴らして
氷しか入っていないドリンクを吸い上げた。
「実家出ちゃえばいんじゃないの?」
「あー、うん、ね」
「社会人になる訳だし。そしたらお姉ちゃんには会わずに済むし、三ツ矢くんとはいつでも会えるじゃん」
一人暮らし。
考えていない訳じゃない。

駅前の不動産屋の貼り紙を見ながら思う。
物理的に距離をつくれば
姉への劣等感も減る気がする。
でもなんでわたしが出ていかなきゃいけないのか。なんか負けた気がして、くやしい。
「お部屋、お探しですか?」
声かけられビクッとしてしまった。
「あ…はい、そうですね…ちょっと気になるくらいですけど…」
「よろしければ中でお話しお伺いしますよ」女性店員はにっこりとしてドアを開けた。 新品の車みたいな匂いがした。
「ひとり暮らしですか?」
イスに案内しながら店員は話す。
「初めまして。魚住と言います。すみません、ちょっと強引でしたよね」
「いえ…」
「見てみたい間取りとかありますか?」
「いや…全然知識もないので…ワンルーム?でいいかなぁと思ってるんですけど…」
「そうなんですね…少々お待ち下さい」
駅から近い方がいいですか?お料理好きですか?
インテリアこだわりたいですか?ペット…は、まだいいかな?
突然の魚住さんからの質問責め。だんだんおかしくなってきて
ちょっと笑いながら答えた。
パソコンの画面を見ながら魚住さんもふふっと笑った。

「すみません。質問責めでしたね。ではこんなかんじでいかがでしょうか?」
プリントアウトされた未来のマイルームはなんだかキラキラして見える。
「わぁ、こんなにあるんですね」
「まだまだありますよ」
「全部ワンルームですか?」
「はい、全部ワンルームですが、どれも少しずつ違っています。例えば…このお部屋ですと、駅から徒歩5分。あ、80メートルで1分っていう計算です。だいたいですけどね」
「へええ…!」
「キッチンのコンロが2口あるのでお料理が好きな方にはおすすめです」
「…そういうものなんですか?」
よくわからなかったので、よくわからない顔をしながら尋ねた。魚住さんは、にこにこしながらそうですよ、と続ける。
「ほうれん草を茹でながら、横で炒め物が出来たりするって言うことです」
眉を下げて笑う魚住さんには弟が居るそう。

プリントアウトしてもらったリストを
焼きたてのパンを抱えるようにして帰った。
なんだ、こんな簡単だったんだ。
わたしの頭から姉の要素が少しずつ減っていく感覚。
スリッパは何にしよう、ほうれん草を茹でて何に使おう、三ツ矢くんにはいつ言おう…!
焼きたての気持ちで帰宅したわたしは玄関で最大の声量を出した。
「なにこれ!」
買ったばかりのわたしのパンプスが壮大に脱ぎ散らかされていた。

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