【ARUHI アワード2022 7月期優秀作品】『ないという新生活』洗い熊Q

電車に乗って目的の駅に着いた時、スマホが鳴っているのに気付いた。
この生活に馴れたと言いたいけど、こう咄嗟の行動に移るのにもたつくのは相変わらず。バックからスマホを取り出すのにさえ苦労する。
着信は私が出るまで辛抱強く鳴ってくれていた。それだけで充分わかる。きっと両親か、私の事をよく知る友人から。私が電話に出るのに時間が掛かるの知っている。
着信画面の名前を見てやっぱりだと。最近になってスマホって扱うのに怖い存在だと気付く。
画面を指でイジると手から溢れやすい。よく落として画面を割る人って片手で操作する人だ。
ちょっと思う、ガラケーに戻そうかと。あの安心のホールド感は何処から来るんだろう。
電話の相手はウザったいくらい行動派の同級生の一人だった。
「――今、大丈夫? ダメなら直ぐ掛け直すよ」
長い待ち時間。それでやっと出た私に対しての彼女の第一声がこれ。
罪悪感もあるけど気遣いすぎだと心配するくらいの友人の言葉。
でも彼女は友人達の中で一番マシな対応かも知れない。

気遣いという周囲の反応は想像以上だった。
誰もが私の将来を心配する。どうするのか。どうしたらいいのか。
不安ばかり。言われなくなって分かってる。一番不安になのは私なんだから。
今はある程度、両親に対しては割り切れている。仕様がないかと。ウザったいと思っても泣きつく時は泣きついちゃうと。
重たく感じるのは付き合いの多い知り合いだ。
励まそうだったのか、友人合同で私にプレゼントをくれた事があった。スマートウォッチ。結構高い物。
色々と便利だと皆は考えたんだろうけど、正直に使いづらい。
まず巻くのが面倒。それに巻いてしまったら私にはもう画面を触って操作なんて出来ない。ICカード代わりに支払いが簡単になるけど、あとは時間の確認という使い方しかない。
皆の前では本当に心からの感謝の言葉を返していたが、一人になってその箱を開けて見た時はそう思ってしまって。
箱を閉じて、そしてそのまま。
そう言えばバスに乗っているときに偶々優先席に座ってしまって、そうしたら次の停留所で足を引きずって乗ってくる男性がいた。
私の目の前で来て、その男性の片足がまるで固定されている様で。それで多分、義足なんだと分かった。
他に座っているのは皆だいぶ高齢の人達ばかり。私が席を譲るか、そう思った。立ち上がろうとした私を男性は制した。
僕は直ぐに降りてしまうから君は座ってなさい。
そう言われ最初、私の腕を見て言ったんだと思った。
本当に男性は次の次ぐらいの停留所で降りていったけど。今思えば男性は座って立ち上がる手間を考えたんだと思う。立っていたらそのまま歩いて行ける。
友人達のプレゼントもそれに近い。心からの感謝は本当だけど、現実には有り難迷惑という表現なんだ。

「――これから逢えない? ちょっと意見を言って貰いたくて、新作のさ」
電話先の友達、はきはきと楽しそうな感じだ。この子はそれを隠そうとしない。
自分も幸せなら、他の人もきっと幸せ。そういう思考は嫌いじゃない。自己中心だと言う人もいるけど、そう言う方が自己中だと私は思う。
自分の事を考えるなんて普通だと思う。そんな悪口を建前に、自分が言われたくないだけで。
「大丈夫だよ。何処にいるの?」
「――私の方から行くよ。そっちこそ何処にいるの?」
私の方こそ大丈夫だよ、こっちが行くよ。そう言いたかったけど、今は友人に甘えようと思えた。
彼女が正直だから、私も正直になれる。最近は他の人に頼ろうと思える様になってきた。
「分かった。じゃあカフェで待ち合わせで」
「――了解~」

新生活といっても、新しい世界が広がった訳じゃなくて。気付いてなかった、いえ見ようとしなかった現実を突きつけられるというもので。
誰かが言っていた、不自由な生活ではあって不幸ではないって事が分かって。
そう、私は不幸じゃないんだ。
それを言い続けるのが正直、もうしんどいかなと思えていて。
本当に世界の全部が変わってくれればと願ってしまう。
じゃあそれをどうすればいいんだって。そんなのを言ってくれる人は今だにいない。
自分で変える。至って単純、明快な答え。きっとそれが正しい自己中心なんだろうて。
私の周りの世界が変わらないのは、きっとまだまだ自己中が足らないんだ。

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