【ARUHIアワード12月期優秀作品】『優しさに染まるとき』辻本羽音

「荷物いっぱいになっちゃうなあ」
 革の卒業アルバムを強引にキャリーケースへ詰め込みながら、結衣は感慨深そうに呟いた。パンパンに詰まっているキャリーケースには、最低限の日用品と大量のスケッチブック、そして必要なさそうな雑貨まで入っている。瞳が「いらないから」と結衣にあげたお菓子のオマケまでキャリーケースの中だ。
「少しは減らしなよ」
「えー、こっちの思い出も持って行かないと寂しいじゃん」
 あどけない表情で素直な気持ちを言葉にする結衣を見て、瞳は複雑な気持ちを抱く。本当は瞳も寂しいと思っていた。なんなら結衣よりも強くそう思っていた。しかし、それを言葉にする勇気はなく、いつも気丈に振る舞ってしまう。
「……あのさ」
「ん?」
「本当に大丈夫?」
 瞳は結衣の背中に、本当に伝えたいこととは別の言葉を発してしまった。キャリーケースを閉じようと奮闘していた結衣はぱっとその手を離し、振り向く。
「朝だって起きれないし、掃除だってできないのに」
 送り出そうと決めていたのに、口からこぼれるのはまるで引き止めるような言葉たち。こんな形でしか寂しさを表せない自分が心底嫌になる。瞳は悲しそうな表情をしたまま結衣を見つめる。
 結衣は瞳の本心をなんとなく察しいていた。もう何年も一緒にいるのだ。瞳の不器用な性格をよく知っている。だからこそ、結衣はへらっと笑ってみせた。少しでも瞳が安心して送り出せるようにと祈りを込めて。
「大丈夫、なるようになるよ」
 色素が薄い、くるくるのくせ毛で結衣が笑う。その笑顔には太陽のような温かさがあり、瞳は思わず微笑んでしまった。結衣ならなんとなく大丈夫なような気がしてくる。「むしろ心配なのは私の方だ」と思いながら、瞳は片付けを再開する。
 そしていつも散らかっていた部屋は、二人がかりで掃除するとみるみるうちに綺麗になった。ほとんどは瞳が片付けたが、普段まったく掃除をしない結衣も集中を切らせながら頑張った。残ったのはベッドと少しの荷物。ずいぶん姿を変えた部屋に、瞳は改めて寂しいという感情を抱く。もうこの部屋には結衣の絵が一枚も残っていない。その事実が、結衣の旅立ちを目に見える形として表している。
「終わったぁー」
「残ってる荷物どうするの?」
「ん?」
「……その顔はお任せしますの顔だね」
 頭をかきながらへらへらする結衣に、瞳はため息をついて少し困ったように笑った。今までも結衣に甘えられるたびにこの顔をしていたが、今日ぐらいはとことんわがままに付き合ってあげることにする。
「わかった、残りは私が片付けておくよ」
「さっすが瞳ちゃん」
「はいはい、もういいから着替えてきて。飛行機乗り遅れても知らないよ」
 時間帯はすっかり早朝からただの朝に変わっていた。そろそろ本格的に準備をしないとまずい。瞳は結衣が遅刻魔であることをよく知っているため、まるで母親のように支度を促す。
 「はーい」と言ってのそのそとパジャマを脱ぎ始める結衣を見送り、瞳は急いで朝食づくりに取り掛かる。手の込んだものを作る時間はないため、すぐできるものをその場で考えた。洋食好きな結衣のために、オムレツとトースト、サラダを慣れた手付きで作り始める。
 特にオムレツは、結衣の好物で「何食べたい?」と聞くと八割方「オムレツ!」と返ってくるほどだった。「パリに行ってもオムレツばっかり食べるのかな」なんて考えながら、瞳は着々と料理を作っていった。
 そして準備を終えた結衣がテーブルにつく頃には、美味しそうな朝食が並んでいた。
「コーヒー飲むよね?」
 さらに瞳はコーヒーを淹れる準備も始める。それを見た結衣は顔をしかめ、「……それって強制?」とおそるおそる聞く。「もちろん」と言って笑う瞳の目は、心の底から今の状況を楽しんでいるように見えた。その視線に顔を引きつらせる結衣。異様な空気感の中にコーヒーの香りが広がっていく。
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