【ARUHIアワード12月期優秀作品】『誰のものでもない家』小波蛍

「ただいまー」
 無気力に呟くと、リビングからユキナの声がした。
「まだ読んでる途中だったのに!」
「いや、古い号だったし、」
「だからって読み終わってるとは限らないでしょ!せっかく面白そうで、」
「おい、ここにあったワインの瓶がなくなってるんだけど。」
 今度はキッチンからタツノリが声を上げる。
「空っぽだったから」
「あれリョウスケさんに取っておいてって言われてたんだよ!」
「僕がどうしたって?」
「あ、リョウスケさん、聞いてください、こいつが、」
「まあ、LINEで大体のことは分かったけど…」
 エスカレートしていく修羅場にマナミはつい足を止める。被害者はサヤ一人にあらず、のようだ。
「シンジ君、ちょっといいかな。」
 リョウスケの冷たい声がした。
(あーあ、可哀想に。あんたみたいなやつは変に気取らず最初からいっちょ前に一人暮らししてれば良かったのに)
 マナミは荷物を片付けに自分の部屋に上がった。
 そして一息つき、下に降りる。どうやら他のみんなは言うだけ言い終わったのか、リビングもキッチンも無人で、家中がしんとしていた。
 一応確認だけ、とマナミもまずキッチンの棚と冷蔵庫を開ける。ドキドキしながら中を見ると、なんと自分の食料品は全部無事だった。
 拍子抜けしながら今度は風呂場。浴槽周りも異常なしだった。
 だが、脱衣所に戻った瞬間、マナミの顔から表情が消えた。
 歯ブラシがなくなっていた。
 マナミはハウスメートの中で一人だけ電動歯ブラシを使っていて、当然それはコップには入れず洗面台に直接立てて置いているのだが、それがいつもの場所から消えていたのだ。
 瞬時に湧き上がった怒りを抑えて周辺を探すと、それは掃除用品と洗剤に混ざって洗面台の下の物置き場に移動させられていた。
(見つかったけど…)
 とてもこのまま使う気にはならなかった。
 むかむかしながら、マナミはシンジの部屋の前までゆっくり歩いた。ドアの前に立つと、中から音楽が聞こえる。
(いるな)
 ドンドン、とノックをする。
 しばらくしてドアが開き、シンジが顔を出した。音量は下がっている。
「…マナミさん。」
 しゅんとした様子だった。
「やってくれるね。無断の大掃除なんて。久しぶりの刺激だわ。」
「…すみませ、」
「電動歯ブラシ。あれ私のなんだけど、どうして移動させたの?」
「…誰も、使ってなさそうだったから。」
「ま、以後使いたいとは思わないけど。」
「…弁償します。」
「高いやつだと2万くらいするよ?」
「…でも、自分のせいなんで。」
(みんなの分もするとしたらすごい出費だろうな)
「…反省してる?何が悪いのか、理解してる?」
 シンジは何も言わなかった。
「掃除するのはいいんだけど、何でこう勝手にするかな?誰だって自分のものが断りなく捨てられたりしたら怒るに決まってるでしょ。聞くまでもないとか思った?自分がこれはゴミなのだと判断したんだから全員がそう思うはずとか? …思い上がってるんじゃない。」
 すると、シンジの表情がふと変わった。何かに急に気づいたように、目が見開かれる。
「他人の要る・要らないをあんたが勝手に決めるな。」
 自分も驚くほど冷徹な声で、マナミは続けた。
「ここに住んでいる人は大人になってから集まってきた他人同士。それがシェアハウスってもんでしょ?それぞれに自分なりの事情があって、色んな背景や価値観やこだわりを持つ人たちが引っ越してきて、妥協しながらひとつ屋根の下に住んでるの。」
 わかる?という感じで詰め寄ると、シンジは硬そうに頷いた。
「そこに自分一人の価値観をみんなに押し付けるようなことをしないで。」
 そして数秒の間があった。
「…あんたここを自分の家って思ってない?」
 すると、シンジはぴく、と少し傷ついたように反応した。

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