【ARUHIアワード12月期優秀作品】『誰のものでもない家』小波蛍

 挨拶を繰り返し、形だけの礼をしたものの、シンジは床を拭く手を止めなかった。それをじっとマナミが見ていると、
「あ、いや、あんまり汚いんで、ちょっと、」
 一番の新入りのくせに何を生意気言ってるんだ、と思ったと同時に、マナミの頭には警鐘が鳴った。こいつ絶対変なやつだ、という。
「…シェアハウスは初めて?」
 これも、少し警戒気味に聞く。
 それが学生寮であれ、居候やただのお泊まりであれ、それこそ自分の実家であれ、少しでも他人と同じ空間で生活をした経験のある者ならこの程度の汚れ(近くで見るとその埃の量にぞっとすることはマナミも否定できないが)には驚いたりしない。どんなに気をつけていても、自分以外の誰かがいる住まいはあっという間に散らかるし、垢もつくものなのだ。
「はい。もうすぐ大学が始まるんですけど、ここから通うことにして。」
「…そう。仲良くやっていけるといいね。」

 その夜から一通りの儀式が始まった。ハウスメート同士が集まったグループLINEにタツノリがすぐ招待し、部屋と共同スペースの案内、どこに何があるのかをサヤがてきぱきと説明、翌日の夜はリョウスケのノンアルコールカクテルつきの歓迎会。シンジは人見知りはせず、すぐに打ち解けたような様子だったが、
「リビングに置いてあった新聞や雑誌って、」
「ああ、昔が住んでた人が購読してたんだけど…」
 少し神経質なのかきれい好きなのか、家中の持ち主不明の日用品やゴミらしきものをどうすればいいのかについてやたら質問をしてくる。
 その様子をマナミは変わらず警戒していた。
(シェアハウスなんて大丈夫かな)
「どうしてここに住もうと思ったの?」
「やっぱり、色んな人と会ってみたいし、何人かと一緒に住んでると楽しそうだし、それに、何かイマドキっぽくてかっこよくないですか?シェアって。」
(でもこれくらい我慢できないんじゃきついよ。無理にそんな洒落たこと考えず一人で住めばいいのに)

 シンジの入居から1ヶ月後の土曜日。久しぶりに、良さそうな部屋を見つけた。
 その日、マナミは内見のためにハウスを不在にしていて、サヤは仕事、タツノリ、ユキナとリョウスケは遊びに出ていた。
(無理。写真と全然違う)
 苛立ちを抱え、マナミは帰りの電車に乗った。
(やり直しか…)
 夕べの遅いご飯会の影響か、急に眠気が襲ってきた。
 ぼんやりとスマホをチェックすると、マナミは目を見張った。
 LINEの通知が異様に多い。
 一体何があった?と困惑しながらアプリを起動する。出所はすべてハウスメートのグループだった。その数39、そして今もさらに増えている。
 そっとチャットを開き、未読部分をたどる。
 送り主はほとんどがサヤ、そして時にシンジだった。
『洗顔どこ?シャンプーもなくなってるけど』
『あ、それは台所のゴミ箱に』
『待って、これ私のマヨネーズじゃない?』
『名前とか書いてなかったし』
『インクが消えてるだけだよ!』
 読んでるうちに、マナミは恐ろしい事態に気づいた。どうやら、彼以外の全員が外出していた今日の昼間、シンジが家の掃除とゴミ出しをして、その最中にサヤの食料品や消耗品を誤って処分してしまったらしい。おそらく早番シフトから帰宅した本人がそれに気づき、その時は逆に不在だったシンジに向けて怒りのLINEを連発しだしたのだろう。
(うわ、ついにやらかしたよ、あのバカ)
 まだ増え続ける通知に嫌気が差して、スマホを鞄にしまう。胸騒ぎを覚えながらも、変なやつだという勘が当たった、ということものんびり考えながら電車に揺られ続けた。

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