【ARUHIアワード12月期優秀作品】『何でもやってあげます券』万野恭一

 二人は九年ぶりに、高台の公園を訪れた。公園の雰囲気も街並みも夕日の美しさもあの時と何も変わらなかった。別れ際、杏菜は「またあそこに連れて行ってね」と言った。それもあの時と同じだった。景義はやはり同じように「いいよ」と応じ、今度は三日とおかずに杏菜を誘った。それからも夕日に限らず、景義は映画、食事、遊園地など様々な口実で杏菜を誘った。杏菜は全ての誘いに応じた。二人が、いわゆる恋人同士と呼べる関係になるのに、そう時間はかからなかった。

 グリルチキンも食べ終えた杏菜は、シャンパンを一口飲み、太ももの下に右手を差し入れた。そろそろ最後の「何でもやってあげます券」を使っても良い頃合いだろう。
「あのさ」
 杏菜と景義が同時に口を開いた。
「何?」
「そっちこそ」
「どうぞ」
「どうぞ」
 二人は互いに譲り合った。
「じゃあ・・・・・・」
杏菜が話しかけたところで、「やっぱ俺から」と景義がそれを制した。
「杏菜に謝りたい事がある」
 景義は神妙な面持ちでそう切り出した。あまりにも重々しい口ぶりに、杏菜は妙な胸騒ぎがした。
「今回は誕生日プレゼントを用意できなかった」
 杏菜は一瞬景義の言葉の意味が理解出来なかった。このディナーがプレゼントでは無かったのだろうか。杏菜はそのつもりでリクエストしていた。
「いいよ、そんなの。これで十分」
「代わりに渡したい物がある」
 景義はスラックスのポケットから上品な紺色のケースを取り出し、テーブルの上で開いて見せた。中には、杏菜の誕生石の小さなダイヤをあしらった指輪が納められていた。
 杏菜は驚きのあまり呼吸が止まり、両手で口元を覆った。
「結婚して下さい」
 景義は、真っ直ぐに杏菜の目を見て淀みなく言った。杏菜の目からはたちまち涙が溢れ、頬を伝った。
「いいよ」
 そう答えた彼女の声は、震え、かすれていた。
「ありがとう」
 景義はケースから指輪を取り出し、杏菜の左手を取って、その薬指にはめた。杏菜は左手を目の前にかざし、うっとりと眺めた。小さなダイヤにキャンドルグラスの炎が映り込み、キラキラときらめいている。
「そう言えば、杏菜も何か言おうとしてなかった?」
「え?・・・・・・ああ、大丈夫。気にしないで」
「そう。・・・・・・ならいいんだけど」
 結局、最後の券は使わずに済んでしまった。「私と結婚しなさい」という指示書きにも、後で取り消し線を引いておかなければならない。何にせよ、杏菜には次の指示を考える楽しみがまた出来た。時間はたっぷりとある。「何でもやってあげます券」に有効期限は無いのだから。

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