【ARUHIアワード12月期優秀作品】『何でもやってあげます券』万野恭一

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 2DKタイプのマンションの一室は完全に物置と化していた。六畳間の真ん中には洋服のかかったハンガーラックが、どーんと二列並んでいる。壁際には同じく季節外れの洋服が詰め込まれたコンテナボックスが腰の高さまで積まれており、その上や横の余ったスペースには景義の持ち込んだバーベキューコンロや寝袋などのアウトドアグッズがびっしりと置かれていた。
 杏菜と景義は元々別々の場所で一人暮らしをしていた。二人とも仕事の帰りが遅い上に休日も違う。中々会えないから一緒に住もうと杏菜が切り出し、景義も快諾した。
 景義の家は狭いワンルームだったので、彼の方が家を引き払い、杏菜の家で同居する事になった。景義は杏菜の家にもある冷蔵庫や洗濯機などの大型家電、ベッドやダイニングテーブルなどの家具類を全て処分したが、それでも引っ越しの荷物はかなりの量になった。元々持ち物の多い二人が一つの家に合流したので、この家にはあっという間に物が溢れ、結果として一部屋がつぶれる事になったのだ。
 寝室とダイニングしか使えない今の状態はさすがに不便なので、杏菜はもう少し広い家に引っ越したいと考えていた。けれど自分と景義は今年で二十五になるし、同棲して二年になる。もし新居に引っ越しても同棲を続けるのならば、その前にきちんとすべき事があるのではないかと杏菜は考えていた。

 ダイニングテーブルには白いテーブルクロスが掛けられ、その上に置かれたキャンドルグラスの中では小さな丸い炎が微かに揺らめいている。部屋は薄暗く、サイドボードの上に置かれた景義のスマホからはジャズのピアノ曲が流れている。自宅にも関わらず、杏菜は髪を綺麗にまとめ、ピアスとネックレスをし、濃紺の上品なワンピースというまるで高級レストランにでも行くような恰好でダイニングテーブルについていた。
「お待たせしました。お嬢様」
 やはり髪をきちんと整え、白シャツとスラックス、腰下の黒いエプロン姿の景義が、ジェノベーゼとグリルチキンの盛られた皿をすっと杏菜の目の前に差し出す。湯気とともに立ち上るバジルとニンニクの香りに、杏菜は空っぽの胃がキュッと痛むような感覚がした。それらの料理は杏菜のリクエストだった。今日は彼女の誕生日なのだ。
 席に着いた景義とチンとシャンパングラスを鳴らし、杏菜は早速ジェノベーゼを口に運んだ。
「おいしい」
 緑色のパスタは彼女が期待していた通りの美味しさだった。景義は料理が得意なのだ。
「良かった」
 景義は微笑んだ。
 あっという間にジェノベーゼを平らげた杏菜は、太ももと椅子の間に忍ばせていたマッチ箱大の紙切れを取り出し、景義に悟られぬよう、こっそりとテーブルの下で確認した。
 紙切れの上の方には、拙い鉛筆の文字で「何でもやってあげます券」と書かれている。
その下には違う筆跡で「引っ越しをやめなさい」と書かれており、取り消し線が横に引かれ
ていた。そして更にその下には、明らかに大人の文字で「私と結婚しなさい」と書いてある。
 よし、と杏菜は小さくうなずき、その「何でもやってあげます券」を再び太ももの下に差し入れた。一張羅のワンピースにはポケットがついていなかったのだ。

 杏菜と義景が出会ったのは今よりもずっと昔、二人が小学生の頃にまでさかのぼる。二人は入学当初から同じ学校に通っていたが、五年生の時に初めて同じクラスになった。
特に接点もなく、クラスメイトとして必要最低限の会話しか交わさずに過ごしてきた二人だったが、とある出来事をきっかけに少し特殊な関係を結ぶことになる。

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