「でもね、ちっちゃい頃のシンプルだったスイッチが懐かしいんだよな。俺は将来もし家が建てられたら、きっとスイッチの好みだけはうるさいかもね」
家を建てたら。その時は保坂先輩の隣にはすっごくきれいな女の人がいる絵が浮かんで、ぷつんと消えた。何かをすごく欲している保坂先輩の目のなかに、夕暮れの光が入ってきて、それを見たらいけないような気がして、スイッチ愛にひたっている保坂先輩の声だけをアスファルトに視線をやりながら聞いていた。あの日汐商店街で見かけた保坂先輩の背中は多分、今までありがとうございましたの挨拶だったのかもしれない。保坂先輩とはこれから先逢うことはもう金輪際ないのだと涼は確信した。そしてあの日のスイッチが、黒いオフの所で止まるカチって音が聞こえたような気がした。
満月の一日前ぐらいの月をみながら涼は走っていた。どうして過去にすがるんだと思いながら。たくさんの家が立ち並んでいるのを見ていたら、みんなここにかえってくる場所があるってことや、それを取り巻くいろいろな景色に思いを馳せてしまって、ぽっかりとしてしまった。なんかせつなげだった。
微かなカンナくずの匂いがして、家をまるごと足場とネットがくるんでる。
新しい家が建つみたいだった。
ざわざわとネットが風にゆれている。そこに立っている看板をぼんやりと涼は眺めていた。施工主の名前が書いてある。そんな他人のものを読んでどうするんだって思って、その名前を目で追っていたら<山梨幸助>さんだった。
え? ヤマナシ? 嘘みたいな偶然。なんでこういう時だけタイミングが合うんだよって思い、その場から足早に去りつつも、急にヤマナシと話したいろんな言葉が頭の中を駆け巡り出した。
あの日のホームとアウェイの話や、涼が居場所がない感じがするってぼやいたら、ヤマナシが言った。
「雪岡、居場所って場所だと思ってるだろう」
勝ち誇った顔がほんと腹立つんだけど、ヤマナシを説得できる言葉を探しあぐねながら答えた。
「居場所はどうあがいたって場所だよ」
「雪岡、そんなんじゃいつまでたっても居場所なんてみつかんないよ。居場所は人だよ。誰といるかだって」
その言葉を聞いた途端に、ヤマナシ説あってる。悔しいけど正しいって涼は確信してしまったことがあった。
「うちの会社さ、昨日はぜんぜん俺の居場所はないって感じだったけど。今日は、ここ好きだよなって思ったんだよ」
その後、じぶんでどうツッコんだかは忘れたけれど、ヤマナシの言っていた<昨日>は、涼がひどい風邪で休んだ日だった。翌日には出勤したのをぼんやりと思いだした。たぶんあの時は、まだ熱っぽい頭でヤマナシの声を聞いていたんだろう。なにも気づかなかった。
涼は、満月の出ていたあの日、酔ったまま聞いたヤマナシの言葉を思い出す。
「あの会社が涼のホームじゃなかったら、だれかをホームにすればいいんだよ」
涼は、瞬発力を一人競っているゲームに参加しているかのように、瞬足の指バージョンで、ヤマナシにラインしていた。
<ヤマナシが、わたしのホームだったらどうする?>
ラインを打ってから、ずっとスマホ画面をガン見していたのに、既読にもならずにうんともすんとも、そのままだった。未読スルーされたよ。今年すぐにでも忘れたい恥ずかしいことワーストワンかもって思いながら歩いていたら、ふいに電話音が鳴った。
「もしもし?」
「もう雪岡。もしもしじゃねーよ。なんでそんな大事なことをラインで伝えてくんだよ」
懐かしいヤマナシの声がしていた。
空には満月になりかけの月が出ていた。
いつか部屋の壁にマニキュアの容器の影がふたつ映って、揺れているのを発見した日のことを思いだしていた。光と影のタイミングがあったあの日のことを。
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