アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。
洗濯物を干しに行こうと思ってふと部屋の壁をみると、レースのカーテンを通して光が射して、まるいふたつのわっかの影が重なっていた。
輪の正体は、シルバーとメタリックブルーの2本のマニキュアの容器のてっぺんの〇だった。なんてことはないのだけれど。
あって思って、ベランダから戻ってきた時には、もうそれは跡形もなくて。
ひかりと影がタイミングよく出会った時にしか、あらわれないことに気づいて。涼はちょっとだけその一瞬を惜しんでいた。
北国に住んでいるわけじゃないけれど、冬は日差しがありがたくって、その上おまけに影絵のような現象にであえると、うれしくなる。
そんなことでうれしくなるなんてばかかと呟きながら、なんで北国とか思うんだよって呆れつつ、でもいいじゃんとじぶんにさらにツッコんだ。
「朝起きて、窓を開けるとね、2階からみた景色が、まっすぐ白い道が続いているみたいなんだよ」
雪が2階の高さまで続いている日常を涼は知らない。
北国で生まれたらしい保坂先輩の言葉だった。
それは、いつかどこかのニュースでみかけた映像のようなのに、どこか違った。この季節になって思い出すのは、ニュースの雪国の風景ではなくて、保坂先輩から話を聞いた時に描いていた映像そのものだったりする。
少ししゃがれた声で記憶しているから、その情景は、いつまでも涼のなかでリアルなのだ。時間が過ぎたことを、うっかり忘れてしまいそうになるぐらい。
「冬が過ぎても春近くになってもその景色は変わらないから、まっしろの世界が夏まで続くんじゃないかって。ずっと閉じ込められてるみたいな不安な気持ちになるんだよ。北国の人間はみんな少なからずそういうとこ、あるかもしれないけど。だからあっちの人間って冬はネガティブなんだけど、夏はとびきりラテン系なんだよ」
こんなに思いだしているのは、週の初めの汐商店街の<カナール>のせいだ。いつもランチする<カナール>が臨時休業していて、仕方ないから隣りのサンドイッチの専門店<&レタス>に入ってその店を出てしばらくぼんやりと歩いていたら、見覚えのある背中が見えた。あの背中はよく知っているってなぜか思って、通りの邪魔になっていることも気づかずに、その背中をぼんやりみていた。その人は、パンフを脇に抱えて<ちいさな電気屋さん>という名の店先で、頭を下げていた。たぶん、営業なんだろう。新しい商品の売り込みかなっていう風情だった。
商店街を歩く忙しそうなおばさんにちょっと舌打ちされて、涼はじぶんがその通りを歩く人たちの邪魔になっていることを知った。
保坂先輩だった。あ、って思ったけれど声が掛けられなくて、涼はちょっと
ただ胸の鼓動が通り一杯にハウリングしてるんじゃないかっていうぐらい、動揺していた。
その日はそのままオフィスに帰った。オフィスでのじぶんの立ち位置はよくわからなくて、いまだアウェイな感じだ。
となりの部屋の事務所からは、いつも笑い声が聞こえてくる。
リーガル事務所だというのに、ちゃんと笑い声がしているところが肩透かしをくらったみたいに、ちょっとずるくないかって思ってしまう。
涼の勤める会社「はっぴいえんど」は、笑った顔のイラストがトレードマークの雑貨を売っているというのに、社員達はちょっと笑いからは程遠い種類の人たちで構成されていた。ただ同期のヤマナシはすこしだけ涼にとってのオアシスだった。
「なんかいいことあった?」
ヤマナシがコーヒーメーカーからじぶんのマグに注いだばかりの湯気の立ったコーヒーに砂糖を山ほど入れながら聞いてくる。
「なんで?」
「だって、ちょっとうれしげだよ。雪岡ランチあけにしちゃ」
「うれし、げって言わないでよ。なんかすっごいバカっぽいじゃん」