【ARUHIアワード12月期優秀作品】『ホームとアウェイ』もりまりこ

「げっていやだよな。さみしげとか、たのしげとか。なんなんだあのげっていうのは。いや俺は騙されないよ。雪岡なんかあった? 言ってみぃ」
「それがさぁ、さっきね」
「うん、どうしたどした」
「言うかよそんなの。あんたすぐチクったりバラすじゃん。言わない」
 だと思ったよ、ってヤマナシは、はなから期待していなかったみたいに、コーヒーを熱そうに啜りながら、でもさ、なんかあったんだなってことはわかったよって、自分の手柄みたいにデスクに戻って行った。
 彼がデスクに戻って涼も席に着いたら、すぐにラインが入った。
 ヤマナシからだった。<実はさ、俺会社辞める。実家に戻るんだ>
 え? って声を出してその文面を読んでいたら隣の実朝女史という仇名の大先輩からこれ見よがしに咳払いが返って来た。
 ヤマナシの悪い癖は、大事なことをこういうふうにラインで伝えてくる。
 さっき言えよって気持ちになって、むしゃくしゃして空白送信して無視していたらまたラインが入って、その吹き出しの色がもうたとえたくないぐらいチープで、<いままで、雪岡といっしょで楽しかったよ>って、ダメ押しされた。
 その日の夜ヤマナシと少しだけ飲んだ。よりによって汐商店街で。お昼過ぎには、あの場所に保坂先輩がいたことが、はじめからいなかったみたいに幻の出来事に思えてくる。
「あのさ、ヤマナシ今頃なんだけど、大事なことをラインで伝えるのやめてよね」
 返事がないからどうしたんだろうって、ヤマナシを見てたら店の天井をじっと見つめていた。なぜかその店は色んな家の形のモチーフが、オーナメントのように吊られている。
「なに?」
「雪岡怒ってると面白いね。一番いきいきしてる。いや、この店もなんてことない店だったと思ってたけどさ、離れるとなるとなんか、え~メランコリックって感じで、焼き付けておこうって思ってさ。ところでなんでこの店は家が天井からぶらさがってんのかね」
 知るか。罰ゲームのように、リアクションしないでいたら黙んなよって、じぶんの肩で涼の肩を押した。
 ヤマナシがいつもと違うテンションで、そこに座って呑んでいるってだけでほんとうにあのオフィスからいなくなることが、いよいよ現実なんだなって思いに駆られた。
「ヤマナシ」
「え?」
「ヤマナシ、居なくなるとすっごいあの場所アウェイじゃん。わかる?」
 涼は、思いのたけをぶつけた。
こんなヤマナシでも、その声に耳を傾けたり、じぶんの声をそばで聞いてくれるひとがいると、ほんのすこしの間だけ世界はそんなにわるくないと思える、瞬間がおとずれるんだなってことを改めて知って、涼はそのことじたいに驚いていた。ふたりで少し酔った帰り道、ぽつりと彼が言った。
「雪岡がさっき言ったアウェイだけどね」
「うん、なに?」
「俺も考えたことあるよ。そういうこと」
ヤマナシが、なにも気にすることはないみたいな風情で言った。
「日差しの中にさ、春もまだそこにあって、冬の名残も感じられて。アジサイがすこしずつ緑色に芽吹いているのをみたりすると、時間は、機嫌よく明日へ明日へと進んでいるようで、つかのま、安堵したりするんだよ」って。
 は? つかのま? 安堵とか、今までそんなボキャブラリー会話の中になかったじゃんって思いつつ、これがちゃんと話せる最後かもしれないから涼は堪えて黙って聞いていた。
「でさ、地面に生をうけて、そこで育ってゆく花にとって、その地は、ホームだなって思うんだよ。その向こう岸に位置する、あじさいにとってのアウェイはどこだろうと、思ってみたんだけど、そんなものはどこにもなくて。花にとっては、すべて咲いている場所がホームなんだと、ちょっと気づいたことがあってさ」
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