【ARUHIアワード11月期優秀作品】『# home』村田謙一郎

 月曜日、私は授業が終わると、いつものようにすぐに教室を出た。もちろん部活なんてやってない。話をする相手もいないのに教室に残ってる。そんな物欲しげなマネはまっぴらだ。アイドルの誰々がかっこいいとか、今度できるスーパーのブランドコーナーが楽しみとか、くだらない会話に付き合うなんて、考えるだけでゾッとする。
 後ろから足音が走って近づいてくる。見なくても誰かはわかる。
「二宮さん」
 ため息をついて、そのまま歩いていくが、優子はめげずに私の横に並び、「週末、どっか行ってた?」と聞いてくる。
「何で」
「畑から見えたの、二宮さんが駅の方へ歩いていくの」
「……別に」
「ねえ、一度うちの畑に来ない?」
「え」
「ワラビ、嫌い?」
「ワラビ? 別に……どっちでも」
「みずみずしくて、食べやすくて、おいしいよ」
 私はじっと優子を見た。その瞳は意外にも黒目がちで、優しげな光を放っている。
「ねえ、なんでそんなに私にかまってくるの?」
「……」
「私ってさ、クラスでも浮いてるじゃない。誰も近づいてこないし。同情してっていうなら、そんなのいらないから」
「違う……二宮さん見てて、やっぱり東京の女の子は違うなあって。おしゃれだし、あか抜けてるっていうか。だから単に私が憧れてるだけ」
 憧れ。そんな言葉を躊躇なく相手に伝えることができる感性を、私は一瞬羨ましく思った。
「それに、ここは出てっちゃう子ばかりだからさ。来てくれた子には、好きになってほしいんだ……この街、私の街を」
 そう言うと優子は微笑んで「じゃ!」と手を振り、走って行った。私は彼女の姿が小さくなるまでその場を動かなかった。

 夕暮れの中、家への道中にある、街で唯一の商店街を歩く。商店街と言っても左右に20程の店が並んだこじんまりとしたものだけど。
 とある店の前を素通りしようと足を早めたが、視界に入った母の姿に思わず止まる。ガラス越しにパンが並ぶ店内で、コックシャツ姿の母がパンをトングでつかみ、棚に置いていく。客に話しかけられ、笑みを浮かべる母。家では見ない顔……。

 部屋のベッドで膝を抱え、スマホを手にしている。スマホの画面には原宿でクレープを食べる自分、六本木ヒルズをバックにすました顔の自分、そして[#tokyo]と[いいね]の0。客観的に見て、これはかなり情けなくなる絵面だ。
「ごめん、ちょっと急用ができて」「すっごく会いたいんだけどさ」。そんな断り文句にも愛想を振りまき、週末、東京を一人で回って撮ってアップした結果がこれだ。
 私は半分意地になって、スカイツリーの展望台で自撮りした写真をアップする。そして、そのままの姿勢で横になり目を閉じた。
 
 目を覚ますと部屋の中は真っ暗だった。夏とはいえ夜になると隙間風が入る家は、ひんやりとした空気に包まれている。
 喉を潤そうと台所に行くと、母が電気もつけずにイスに座っていた。テーブルにはまたもらってきたのだろうか。パンの入った袋が置かれている。
「何やってんの」
「ああ、起きたんだ……ごめん、ごはん作ろうとしたんだけど、明日、店休みだと思ったら気が抜けちゃって」
 暗がりの中から聞こえる母の声は、記憶にないほど弱々しかった。
「あのさ……週末、また東京行きたいの」
「……」
「これが最後だから」
「……頑張って」
「えっ」
「大変だろうけど頑張ってねって、今日幼なじみに言われたの……何も話してないのに、そういうのってすぐ広まっちゃう」
 私が店の前を通りかかった時の客だろうか。
「でも、そう……啖呵切ったのは自分なんだから、頑張んなきゃね。あんたは東京でもどこでも好きな大学行くんだからね。わかった? 母さん頑張る……頑張るから」
「だから、大学はもういいって……」
 すると、母は袋からパンを取り出して、かぶりついた。あの形はたぶんメロンパン。むしゃむしゃと無言で食べ続ける母を、私はしばらく見ていた。

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