「夏越の祓(なごしのはらえ)」は、6月30日に神社で行われる神事です。本記事では、夏越の祓がどのような神事なのか、その歴史と行事の内容について紹介します。
夏越の祓とは何か
夏越の祓は、1000年以上も昔から行われてきた儀式で、夏の風物詩にもなっています。夏越の祓とはどのようなものなのでしょうか。
夏越の祓は大祓の一つ
夏越の祓は、1年の折り返しである6月30日に各地の神社で執り行われる「大祓(おおはらえ)」の神事です。元は旧暦で行われていたものの、現在は新暦の6月30日に行われるのが一般的です。半年間に溜まった心身の穢(けが)れを落とし、残り半年を無病息災で過ごせるよう祈願します。
大祓の神事は、年に2度行われる神道の儀式です。6月30日に執り行われるのが「夏越の祓」で、12月の大晦のものが「年越の祓(としこしのはらえ)」になります。年越の祓は1年後半の穢れや厄災を祓い、心身を清めて新年を迎えるために行われます。
夏越の祓の由来
「祓」は神道独特の儀式であり、その起源となる神事は『古事記』や『日本書紀』に登場します。
イザナギノミコトは、妻のイザナミノミコトとの間に多くの神々を誕生させました。しかし、イザナミノミコトは火の神を産んだ後、火傷により亡くなってしまいます。
妻の死に悲嘆したイザナギノミコトは、妻を連れ戻そうと死者の国である黄泉(よみ)の国を訪れますが、変わり果てた姿になったイザナミノミコトを連れ戻すことはできません。
黄泉の国から「黄泉返り(よみがえり)」を果たし、地上に戻ったイザナギノミコトは、穢れた身を日向国の「橘の小戸の檍原(たちばなのおどのあはぎはら)」で洗い流して清めました。これが禊祓(みそぎはらえ)の始まりであり、「祓」の由来になったとされています。
大祓の儀式は701年に制定された大宝律令により、宮中祭祀の一つとなりました。しかし、1467年の応仁の乱により京の市街が荒廃したため中断します。その後、1871年に明治新政府の太政官布告により復活し、現在では全国の神社で執り行われています。
夏越しの祓で行われる行事
夏越の祓で行われる行事にはどのようなものがあるのでしょうか。風習や京都と東京の違いなどについて紹介します。
茅の輪くぐり
夏越の祓の行事として、最もよく知られているのが「茅の輪(ちのわ)くぐり」でしょう。茅の輪とは、イネ科の茅(ちがや)という草で編んだ直径数メートルの輪です。茅は葉先が鋭く尖って剣のように見えることから、厄除けのご利益があるとされる植物です。
茅の輪くぐりは、茅の輪を参道の鳥居などの結界内に設置し、これをくぐることで厄を祓い清めるというものです。
ちなみに、茅の輪くぐりも神話が由来になっています。スサノオノミコト(日本書紀ではイザナギノミコトとイザナミノミコトの間の子とされ、日本最初の和歌を詠んだといわれる防災除疫の神としても知られる)が旅の途中に宿を求めた際、備後国の蘇民将来(そみんしょうらい)は、貧しい身の上ながらも歓待して宿泊させました。
スサノオノミコトは蘇民将来の恩に報いるため、茅の輪を腰に付けておくように言います。蘇民将来は言いつけを守り、自分と妻子の腰に茅の輪を付けていたところ、疫病から免れることができました。
茅の輪くぐりは、一般には「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸(さきは)え給へ」や「水無月の夏越の祓する人は、千歳の命延ぶというなり」などの神拝詞を唱えながら、8の字に回るように3度くぐり抜けます。
なお、神社によって唱えことばや、茅の輪をくぐりる際の回り方に違いがあるため、それぞれの神社の作法に則りましょう。
人形代
夏越の祓では、人形(ひとかた)や形代(かたしろ)を使った厄払いも行われます。人形とは、人の形を模した紙のことです。紙ではなく藁などで作る場合もあります。この人形に自分の名前や数え年などを書き、体の調子の悪い部分を撫でたり、息を吹きかけたりしながら災厄を移します。
身代わりとなった人形は、神社に奉納して厄払いします。奉納された人形は神職がお祓いをして川に流したり、かがり火で燃やしたりします。
水無月
京都では、夏越の祓の日に「水無月(みなづき)」を食べる風習があります。水無月とは、白いういろう生地の上に小豆(あずき)を乗せ、三角形に切り分けた和菓子です。
冷房や冷蔵庫がなかった時代の夏は、夏バテになったり疫病にかかったり、命を落とす危険すらある厳しい季節でした。室町時代の宮中では、夏を無事に乗り切るために、旧暦の6月1日に氷を食べて暑気払いをする風習がありました。
しかし、当時氷は貴重品であり、入手が困難だったため、氷を使って暑気払いをするのは容易ではありませんでした。そのため、庶民の間では、氷の代わりに氷を模したお菓子を用いていましたが、これが水無月の由来とされています。
夏越ごはん
夏越の祓の時期が近づくと、最近では関東でも水無月を見かけるようになりました。しかし、やはりまだ京都ほど一般的ではないようです。関東には夏越の祓の行事食にあたるものがありませんが、近年「夏越ごはん」が広がりつつあります。
夏越ごはんは、雑穀米の上に夏野菜のかき揚げを乗せ、おろしだれをかけた丼です。雑穀を使うのは、先に紹介した蘇民将来がスサノオノミコトを粟飯でもてなしたという伝承に基づいています。上に乗せるかき揚げは、茅の輪をイメージして丸く仕上げています。
まとめ
夏越の祓は比較的地味な行事のため、馴染みが薄いと感じる人もいるでしょう。しかし、夏越の祓は1000年以上もの歴史を持ち、脈々と受け継がれてきた夏の風物詩でもあります。夏越の祓に馴染みがなかった人も、地元の神社や有名な神社に足を運び、茅の輪くぐりを体験したり、水無月や夏越ごはんを食べてみたりしてはいかがでしょうか。