【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『新しい原点』陸 曦

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

去年の4月に大学に入学してから、よくこの鴨川の近辺で、ぼーとして、静かに川を眺めていた。
初年度前期授業はリモート授業のため、クラスメートとも会えずにいた。現実に一度しか見ていないクラスメートの顔は、薄い記憶のままで、それはまた入学式の日のクラス会のときだった。
風はまた冷たく、夕方にクラス全員の初飲み会の前に、みんなは薄着のため、やさしいだれかが厚着のコートをたくさん集めてきた。
みんなは鴨川沿いのこの公園に、大きな輪をつくって、芝生に座った。一人ずつマスクを外した。少し冷たい、新鮮な空気に乗って、若者の元気な声が伝わってきた。そして大きな輪が回るように見え、ついに私の順番だ。

「木村真治です! よろしくお願いします!」

いかにも短いフレーズで、少しごまかそうと、若者の声らしい、大きな声で叫んだ。しかしマスクを外してから、顔が見られたので、だんだん恥ずかしくなってきた。
私は東京で社会人5年目のときに仕事をやめて、京都のまちにあるこの大学の学部に入った。これは人生2回目の大学生活だ。いまはみんなはマスクをしているから、私のこの社会経験の顔はバレずに済んだ。目の前のクラスメートが私より10歳年下である事実は、マスクのおかげでうまく隠すことができた。
自己紹介の会が夕方に開かれるのは私には都合がよかった。鴨川沿いのこの公園の街灯は、半分明るく、私の顔はクラスメートの顔とは同じく、大学生の顔に見えた。これは人生二度目の青春のはじまりだ。鴨川の桜満開のこの時期、夜桜の淡い色合いは、とても清々しい。
そのあとの飲み会に、私も参加した。未成年中心の、お酒なしの飲み会だった。店の照明は少し暗めで、それでまた助かった。初対面のクラスメートとなんとなく会釈をしながら、控えめの挨拶の会話を挟んで、おいしい京料理を堪能した。
それは入学してからまもなく4カ月の間、たった一度のクラスメートとの対面だった。それからはリモート授業で、みんなはランダムにリモート授業画面に登場していた。
本当は私はずっとリモート授業のままを望んでいた。しかし、初年度の後期に、教室での授業は通常に戻った。会話がない場合はみんなマスクを外した。私はまた自分の顔を隠そうとしていた。クラスメートとの会話は、大体宿題についての内容で、私は自分の目ですべてのコミュニケーションを済まそうとしていた。去年からはずっと、教室より、この鴨川沿いは私にとっては、とても気楽でいられる場所だ。
そしていま、この場所で、私は永野さんを待っている。
社会人時代の貯金をなくし、大学の生活費のため、1回生の夏休みに、京都初出店の本屋でバイトをはじめた。永野さんはバイト先で知り合った同じ大学違う学部の学生だ。
店のレジカウンターに立つ前、ビンテージ書籍のフィルムカバーをかける作業の研修で、永野さんとチームを組んで取り掛かっていた。彼女の動きは素早く、フィルムを切るときのハサミの使い方は匠の技だった。ペアを組んだ私は、もともと手の器用は微妙で、それで助かった。
その夏休みに、店の遅め時間のシフトで、よく永野さんと一緒で、店締めの作業が終わってから、帰り道はよく自転車で一緒だった。そのときいろいろ教えられた。大学から20分歩いて着く川端通に、ちょっとした落ち着く古本屋を目印にして、辿り着いた目の前のこの名もなき一本大きな桜の木は、永野さんのおすすめだった。
それから、週末に時々永野さんと一緒にここの木陰でお弁当を食べていた。大学ではめったにマスクをはずしていなかったが、ここでは、気楽に永野さんに顔を見せた。思えば、京都に来てから、永野さんとマスクなしの対面はほかのだれよりも多かった。
マスク時代ではみんなの目しか見えなく、似たような表情で、つめたくもあたたかくもないが、永野さんはみんなとは違う。永野さんの前だけで、私は本当にマスクを外して心を開いた。見つめてみると、不思議に彼女の瞳は私の瞳に似ている。彼女のことが気になった。

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