居間から物が爆発するような音が聞えてきました。驚いて居間に入ると、引き戸の硝子が割れて、戸が居間の内側に向って倒れていました。外からは激しい風とともに雨が吹きこんでいました。
「木の枝が硝子戸にぶつかったんだよ」
見ると畳の上に折れた木の枝が雪絵の足元に落ちていました。枝は引き裂かれたように折れた先がほそくなっています。
「誠、二階から絵を沢山持ってきて。釘と金槌を忘れるんじゃないよ」
雪絵のするどい声が響きました。すぐにドタドタと二階にあがる誠の足音と「ようし」という声が聞こえてきます。
誠がキャンバスを両手いっぱいにいくつも抱えてきて、さらに釘と金槌をもって居間に入ってきました。
「これを使って塞ぐといい」
「でも、これはお義母さんの大切な絵じゃ」
「なに言ってるんだい。命の方が大切だろう。そんなこと。それより、誠、はやくキャンバスを釘で打って雨が入らないようにするんだよ。春花さんの体が濡れてしまうじゃないか。……た、大変なことになってしまったらどうするんだい」
「大変なことって……」
誠は歯に物の挟まったように「大変な」と言った母に首を傾げながらも、キャンバスを掴むとてきぱきと釘を打ちつけていきました。
大小合わせて十枚のキャンバスで塞いだことで雨風は家の中に入らなくなりました。
念のために割れても倒れてもいない硝子の引き戸も追加のキャンバス五枚をつかって覆いました。硝子の引き戸があった一面が雪絵の絵で埋めつくされました。窓からの景色を描いたものばかりです。さまざまな季節、さまざまな角度から描かれた絵でした。
これまで雪絵が書いてきた思い出の景色が雨風をさえぎっている。どの絵も明るい光に溢れていました。まるで明るくあろうとする雪絵の心を現わしているようでした。
畳みはすっかり濡れてしまいましたが、誠がキャンバスを打ち付けている間、春花は新聞紙をひろげて濡れるのを防いでいたので仏壇は無事でした。
「ああ、ケーキが濡れたな」
誠は残念そうに言うと、続けて「やはり避難しよう。さあ、車に乗って」と、力強く声をあげました。
玄関をでると、雨風の音にまじってサイレンの音やスピーカーから避難を呼びかける声が聞こえてきました。
四人は車に乗りました。運転は誠がして助手席には荷物を乗せて、後部座席に春花と雪絵が座りました。雪絵は渋ることもなく素直に誠の指示に従っていました。
車を走らせた途端、家の裏から大きな音と聞え、地面がゆれました。雨で崖が崩れたようでした。足の先が痺れたような感覚がして、濡れた土の匂いが車の中まで入ってきました。
まだ夕方だというのに外は暗く、雨は車を打ち、ワイパーの速度を最大にしても前が見えませんでした。ヘッドライトをつければ打ちつける雨に光が反射しました。
誠はゆっくりと気をつけながら避難所のある公民館に向かって車を走らせました。
「あの子はやさし過ぎるんだよ」
後部座席の雪絵は春花にだけ聞こえるように小声で言いました。
「はい、とても優しい方だと思います」
春花は小さく頷きながら答えました。
「その優しさゆえに春花さんはこれから苦しむようになると思うよ。気づいているだろうけど、誠はまだ亡くなった昭子さんを愛しているんだよ。春花さん、それでもいいのかい。私はふたりの結婚を反対しているんじゃなくて、そのことが何よりも心配なんだよ」
雪絵はまっ直ぐに澄んだまなざしを春花に向けてきました。
「いいんです。それでも私は幸せですし、誠さんを幸せにしてあげたいと思っています」
「そうかい。それだけの覚悟があるのなら、もう反対はしないよ。結婚するといい。春花さん、あなた妊娠しているんでしょう」
雪絵はそっと春花の膝の上に手を置きました。
「わかっていたんですか」
「私だって子供を産んだ経験があるからね。会った瞬間、すぐに気がついていたよ。誠には言ったのかい。言っていないんだろう」
「まだ……」
春花はちいさく頷きましたが、言葉が続きませんでした。
「避難所に着いたら言ったらいい。わたしの家族になるんだからさ」
「はい、おかあさん」
春花は運転席の誠に見つからないように、そっと顔を伏せて涙を拭いました。
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