【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『おしゃれな家』万野 恭一


 妻はこの家に一目ぼれしたようだった。僕はというと、当然そんな心構えは出来ていなかった。僕たちは借家住まいだったので、当然いつかは自分たちの城を構えたいという夢は思い描いていた。けれどそれは「いつか」という話であって、僕たちはそれまでまだ何も具体的なことを話しあったことがない。
 僕もこの家は気に入っていた。けれどだからと言って、即決なんてできるわけがない。家を買うだなんてそんな大事なことを、そんなに簡単に決められるはずがない。
 僕は妻と不動産屋に対し、決断まで少しばかりの猶予くれるよう願い出た。
 それからというもの数日間、僕はこの家についてかなり真剣に考えた。僕たちの収入に対するこの家の値段(土地、建物に加え、給湯器の交換、風呂場やキッチンなど自分たちではできない修繕の費用)。それから僕と妻の職場との距離。最寄りのスーパーや病院までの距離。そしてもし子供が生まれた時のため、学校や保育園、公園との距離まで調べてみた。
 結論から言うと、特に問題はなかった。「あ、いける」というのが僕の感想だった。つまり妻の直感はあっていた。彼女にはそういうところがあった。とても大事なことを、実にあっさり決めてしまったりする。けれどそれが、あくまで僕にとってはということだけれど、悪い結果をもたらしたことは一度もない。
 それで僕はこの家を買うことにきめた。

 プロに頼んで最低限の修繕が終わり、家具や家電を計画通りに配置して、段ボールに詰まった大量の荷物をかたづけたら息をつく間もなく「お洒落化大作戦」が始まった。妻には既に、この家をどうしたいかという明確なヴィジョンがあったのだ。
 まずは壁紙の貼り替えをした。廊下や玄関やリビングダイニング、一階部分のところどころくすんでいた白い壁紙を、水色の板張り風のものに貼り替えた。二階は淡い萌黄色のものに貼り替えた。
 キッチンの壁には料理好きの妻がたくさんの調味料をおけるよう、オーク色の棚を二段取り付けた。シンク下の収納の扉はきれいに取り払ってしまい、鍋やはかりなどの調理器具、それから皿やコップの入ったワゴンを出し入れできるようにした。
 先週の土日は生え放題だった庭の雑草を全て刈り取って、掃き出し窓の前に三畳ほどのウッドデッキを取りつけた。
 そして今週は僕と妻、各々の自室の装飾に取り掛かっていた。二階は元四畳半(元、というのはリフォームの際、フローリングにしたからだった)が二つと元六畳間が一つという間取りだった。元六畳間を寝室にして、四畳半を各々のプライベート空間とすることにした。妻は基本在宅勤務だったので、彼女においては仕事部屋も兼ねていた。
 僕たちはそれぞれ自分たちの部屋に分かれて作業をやることにした。この家に来て初めてのことだった。壁紙もキッチンも庭の草刈りも、それまでは全て一緒にやっていた。一緒にやるといっても僕は常に従属的だった。そうならざるを得なかったのだ。彼女の中には明確に「こうしたい」というのがあって、僕にはなかった。そして彼女は元来センスが良かった。「どうかな?」と意見を求められても、「いいね」としか答えようがなかった。本当にいつもそう思うからだった。だからこうしていざ「好きにしていいよ」と言われると、僕はもうどうしたらいいのかわからなかった。
 僕は何もない部屋の真ん中に座り、ぐるりと部屋の中を見回した。真新しい萌黄色の天井や壁。まだカーテンのついていない窓。言うなれば、それは何も描かれていない真っ白なキャンバスだった。けれど僕にはそこに描くべき絵が浮かばなかった。いつまで経っても浮かばなかった。

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