海外駐在員として働いているころは、忙しかったけれど、やればやるほど仕事が面白くなった。これが俺の天職かも、なんて思ったこともある。だが、日本へ帰任してからは会社が段々つらくなった。得意ではない社内調整業務に疲れ、やがて役職定年となり、だんだん自分が必要とされている実感がもてなくなった。もちろん、同じような境遇でも、若手以上に客先を回り、注文が取れたと言っては喜び、他社に取られたといっては悔しがっている先輩社員はいる。立派だし、カッコいいと思う。でも自分はそうなれない。仕事が面白くてたまらないなんて、たぶん今までが恵まれすぎていたのだ。
「せっかくの海外経験を活かさないと勿体ないよ」と人に勧められ、転職エージェントに登録もしてみた。面談した若い担当者は鼻息荒く言う。
「ご年齢を考えますと、ご紹介できる案件は正直多くありません。少ないチャンスをものにする為に、経験とスキルを棚卸してご自身の市場価値をアピールしましょう」
「市場価値」という言葉が好きになれず、転職活動も止めてしまった。
いざ会社を辞めようと思うと迷う。自分が考えていた以上に、会社という存在は大きい。辞めて何がしたいのかもよく分からない。仕事に夢中な時期に次のことを考えるのは難しかった。独り身で、どこで何をしても構わないのも自由すぎて困る。そんな状態だった。
「主人は六十三歳で銀行を辞めたあと、ボランティアとか自治会の活動とか色々やったのよ。でも、銀行時代の仲間とお喋りしている時が一番楽しそうだった。いまの頭取のやり方はいかがなものかとか、これからの金融再編で生き残るにはどうすべきかとか、そんなことを頭の白いおじいちゃんたちが集まって真剣に話しているの。まだ、うちの銀行、なんて言ってるし。可笑しいわよね」
父もそうだった。リタイア後は、会社員時代の話をしている時が一番楽しそうだった。
「寝たきりになってからは、ヘルパーさんに来てもらっていたんだけど、やっぱり銀行時代の難しい話をしたがるのよ。もちろんヘルパーさんは興味ないわよね。でね、その時思ったの。そこはもうちょっと詳しく、ここをちょっと脚色したら、分かりやすくて面白い話になるのに。惜しいなぁ、って。自慢話をしても、苦労話をしてもいいのよ。面白ければ。それなら耳を傾けてくれるし、人の役に立てるかも知れない」
そうだった。叔母は面白いかどうかを、何より重視する人だった。変わっていないなと嬉しくなる。
「主人が亡くなったあと、カルチャーセンターの自分史講座に通い始めたんだけど、楽しいわよ。人の経験は興味深いし、参考にもなる。でも年寄りの話なんて若い人は聞きたがらないじゃない。それは工夫が足りないからよ。聞く人を楽しませられるように、面白くすればいいのよ」
叔母さんは続ける。
「アルバムが何冊か残っているだけで、主人の記録はほかに何もない。だからね、私の自分史に主人を登場させて、面白いことをたくさん言わせるつもりなの。多少嘘を書いても、きっと笑って許してくれるんじゃない」
そう言って、叔母は楽しそうにロックの梅酒をちびりと飲んだ。
「じゃあ、僕も叔母さんの自分史に面白く登場させてよ」
話を合わせるようにそう口を挟むと、少し間をおいて、叔母には珍しく命令口調で言った。
「あんたは、自分で自分を面白くしなさい」
「……」
「自分が面白いと思うことだけをしなさい」強い言葉だが、優しい口調だった。
「これからはちょっと不真面目でも、お父さんもお母さんも許してくれるわよ」
叔母はペロッと舌を出して笑ったあと、今度は大将が叔母にだけ出してくれた熱いお茶を、ずずっと飲んだ。
その夜は実家の居間で大の字になって寝た。かつては家族四人がきちんと正座して食事をしていた場所だ。庭から聞こえる虫の音が、近づく秋を感じさせる。子どもの頃の自分の声は聞こえてこないけど、気分はすっきりしていた。一歩踏み出せそうな気がした。
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